似合わないけど好きな人

学生時代一番時間を過ごしたアートスタジオの入り口。不安な気持ちで開けることの方が多かった
学生時代一番時間を過ごしたアートスタジオの入り口。不安な気持ちで開けることの方が多かった

今回楽しみにしていたことの一つは、母校である大学University of Nevada, Reno (UNR)のキャンパスを訪れること。当時からキャンパスの拡大計画は公表されていて、どう変わっているのか楽しみだったけど、新しい部分と、昔からの部分、どちらも見られて楽しかった。

 

当時のハウスメイトの一人、アメリカ人のナンシーが付き合ってくれて、キャンパスを色々と周ったのが確か金曜日。翌日土曜日に卒業式を控え、授業は全て終わっているので学生も先生もほとんど見かけないのだけど、普通に建物に入れたし、なぜかありがたいことに教室は鍵もかかっていない上、電気までついている!おかげで気兼ねなく侵入し、写真を撮って遊ばせてもらった。

 

一番多くの時間を過ごしたアートビルディングは、入った瞬間昔と同じ匂いにやられ、数々の記憶が蘇ってきた。3階のアートスタジオ(上の写真)はレイアウトが変わっていたけど、あのいい意味での小汚さは当時のままだった。

 

そのスタジオの角に、私が唯一(一方的に)恩師と思っているDrawingの教授、Mr. Michael Sarichの描きかけの作品が置かれていた。驚くほどに、彼のペインティングが1ミリも揺らぐことなく、相変わらずのスタイルとタッチで存在していたことが今回は実に嬉しかった。

 

Mr. Michael Sarich制作途中の作品。勝手に載せたら怒られるかな
Mr. Michael Sarich制作途中の作品。勝手に載せたら怒られるかな

マイク(向こうは教授でも結構ファーストネームで呼ぶ)が初めて授業に現れた時のことをよく覚えている。

 

グレーのロン毛を低く後ろに束ね、痩せこけた顎にもグレーの髭を生やしている。ひょろりと骨ばった身体にゆったりと柄シャツを着て、袖から見える腕にはたくさんのタトゥーが入っていた。何よりも印象的だったのが、入って来た時のマイクの少し痺れたような震える肢体と、びっこを引いた歩き方。話す言葉も、訛りがあるのか(?)聞き取りづらい。私は勝手に、(いかにもアーティストらしく)お酒か何かの影響を受けてしまっている人なのかと思い込んでしまった。

 

 

その震えの原因が実はアルコールではなくて、パーキンソン病だったというのは、本人から初日のうちに知らされたと思うが、それを聞いた時は、見た目で判断した自分を大いに恥じた。当時既に発症して6年くらいだったと思うが、思うように身体が動かなくなるパーキンソン病を患いながら、マイクが描く絵は尖っていて懸命だった。「いつ描けなくなるかわからないから」と、生徒が描いている合間にも描くその画や彫刻は、正直好みを選ぶものではあったけど、揺るがない強さと情熱があったし、一枚一枚を大事にしない生徒に苛立つような様子も時には見られた。

 

マイクの特徴を色々書いたけど、私にとって一番印象的だったのは、その青すぎるほどよく澄んだ目だった。

 

マイクはその魅力的な青い目で、ほとんど瞬間的に、生徒の作品の何がうまくいっていて、何がうまくいっていないかを見抜いてしまう。しかもそれを正確に言葉で表現し、その言葉は時に理解するまで数日、数ヶ月、または卒業後の数年までかかることもあったけど、理解した瞬間はいつも感動であった。

 

そんなマイクのクラスでの、二週間に一度のcritique(論評)は回を重ねるごとに縮こまるほど恐ろしなっていった。マイクに褒められた作品は誇らしく、けなされた作品は、物によっては姿を消した。いつしか、作品を描いているうちから、マイクのあの青く透き通った二つの瞳が、自分と作品の間を遮るようになった。マイクに何を言われるだろう、そして自分はどう語ろうかと、頭の中でも、声に出しても、何度も繰り返しイメージしてからcritiqueに臨んだ。

 

これもマイクの作品。相変わらず尖っていて嬉しい
これもマイクの作品。相変わらず尖っていて嬉しい

一緒にいたナンシーもマイクの作品を多少知っていて、「ミッキーマウスのモンスター」と彼の作品への評価はネガティブなものだったけど、私はそのスタイルが本当に1ミリも変わることなく健在だったことに、今回は笑ってしまうほど嬉しくなった。私も好きかと言われたら「うーん」となるところではあるけれど、今回改めてマイクの作品を観て、以前の私では知覚できなかった技術を確かに感じて、観るべきものはやはりあると気付かされた。ポップとも取れる表現なので日本人受けしやすい気もするが、ディスニーなどのモチーフの可愛らしさから単に「かわいい」と表現するのは安直すぎる。かといって彼が繰り返し使うシンボリズムの真意は、私もまだ理解しきれずにいる・・・。

 

私を知っていて、マイクのこの作品と印象を知ったばかりの方は、この対極的な二人がどう交わるのか想像がつかないかもしれない。私にとっても、正直これほどまでに強面で立場的にも脅威的な人はいなかった。マイクと私は、アートを介してでなければ一言も話すことなんてなかったと断言できるけど、作品が私とマイクの間に、コミュニケーションを反射させる鏡のように存在し、私たちは少し、お互いのことを知ることができたのである。アートがvisual language(視覚言語)と言われる所以であり、今よりもずっと言葉に不自由で引っ込み思案だった私は、他学生とのコミュニケーションにおいても、そのvisual languageに大いに救われた。マイクは、案外私の作品を好意的に、時には寛大すぎるほどに評価してくれたこともあり、それが今の自分を支えているところも大きい。

 

このモチーフも昔から変わらない
このモチーフも昔から変わらない

忘れられないマイクが語ってくれたエピソードがある。ある時彼が作品を家族にプレゼントしたところ、その作品が飾られずに、ソファーの下に隠すようにしまわれていたという。もし私だったら、悲しくて人には言えないことだと思うけど、その後彼が言ったのはこうだった。「自分が自分の作品の一番の擁護者であれ。」

誰に批判されようとも、世の中で誰一人も認めてくれなくても、自分は自分の作品を全力で守れ・・・。

 

これは逆に言えば、自分が守れないような作品は作るな、と言うことだと思う。守れないような、自分でも不確かな作品は世に発表するべきではないし、発表したからには責任を持て。

この教えは、私が作品を仕上げる時にいつも「擁護できるか」確認する所以となった。

 

 

 

スタジオの前にあるマイクのオフィス。貼ってあるものもいくつか見覚えが
スタジオの前にあるマイクのオフィス。貼ってあるものもいくつか見覚えが

そんなこんなで、私はマイクを勝手に恩師と据えているが、マイクはたくさんの学生の中でも地味だった私なんか覚えていない可能性が高いし、そんな恩師に今回会いたかったかというと、やっぱり少し勇気がいったもので、会えずにホッとしている自分もいた。

 

 

彼のオフィスは13年前と同じところに、同じ佇まいであって、とにかく今も変わらずお元気にご活躍されていることが嬉しかった。その作品から感じる態度の全てで、未だにものを教えてくださっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

下は10年ほど前のものだけど発見した、マイクを紹介するリンクと動画。素敵です。

http://stremmelgallery.com/artists/michael-sarich/

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