日日是同日
- tanazawahanae317
- 1 日前
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更新日:18 時間前

仕事がなくて、何も起きないような日々が続いて、それが数週間、数ヶ月と続いて、きっとどこかで変化が起こるだろうとまた眠くなって昼寝して、目が覚めても携帯になんの通知もなくて、郵便受けも空っぽで、ただただ昼寝をした分だけ時間が過ぎたような日々がもう長いこと続いている。
自分がこんなに眠気に任せて眠っている間にも、世間はどうやら動いているらしく、人々は蛍光灯の下で忙しく働いたり、買い物したり、デモしたり、学校では子どもたちが授業を受けたりしているらしいことが、本当に同じ世の現実なのかと疑いたくなるくらいに、私は自分の生活が世間と切り離されていると感じる。この感覚を共有できる人たちがいるとしたら、長期入院でベッドから窓の外を眺めている患者さんか、年金暮らしのお年寄りといったところだろう。
不思議なもので、こんな状態で焦る自分がいるわけでもなければ、そこそこ日々の小さな暮らし、例えば細々とした家事や習慣的な散歩が与えてくれる愉しみで一日を過ごせてしまう自分というのは、つくづく呑気なものである。貯金ははるか前に尽きたので今は親銀行からの借入で生きている(疑問に思う人がいれば)。それを恥じたり申し訳なく思うかというとそれほどでもなく、自営していればそんな時期もあるだろうと開き直るあたり、我ながら図太い。
時代劇や明治から昭和辺りの小説を読んでいて、登場人物が暇を持て余して畳の上でゴロンと長いこと天井を見つめたり、無一文のまま暇に任せて散歩に繰り出す様子は、いつも大したシーンでもないのにやけに印象を持ってしまう。つまり、私はそういう人たちのそういう瞬間に共鳴してしまっているし、一種憧れのようなものを抱いてしまっていたのかもしれない。あの無一文人間の、あの図太さ、着物の袖に両腕を差し込んで呑気にタバコを喫み、明日の我が身を他人事のようにぼんやりと按じるあの身勝手な男どものあの感覚、私はそれをしっかりと持ち合わせてしまっている。
しかしそんなドラマや小説には展開があって、彼らはその後目覚ましく活躍したりするのだが、こと私に至っては昨年の夏に仕事が激減してから、届くメールはDMや支払いの案内ばかり、我ながらに仕掛けてみるあれやこれには何も引っかからず今に至っている。
私のマメな料理好きや家事好きを知って「もったいない」といってくれる方も時々いて、謙遜を省いて見つめるならば、我ながら確かにそう思う。こんなこと言うのもなんだが、こんなのはまさに宝の持ち腐れである。今でこそ希少な存在となった専業主婦。本来私はそこを目指すべきではなかったのか。こんなにも、稼がずに日々を楽しく過ごせる素質があることを自分でも知らなかった。専業にまでならずとも(絵の仕事は続けたい)、結婚。実は今の自分だったら楽しめるかもと先々月ようやく思ったところで、中身は明治のズブトいおじさんというのが判明したばかりだけど、相手さえ良ければ今後はぜひ結婚をしていこうと思う(なんてオチ)。