「進化」
- tanazawahanae317
- 5月7日
- 読了時間: 2分

鉛筆ではなく、シャーペンで文章を書いている。
シャーペンが生まれたとき、それは大きな進歩だったはずだ。鉛と持ち手を分けて考えると言うのは、なかなか飛躍的な発想だったはずで。
メガネがコンタクトレンズになったのも、ノートがパソコンになったのも、馬が車になったのも、手紙が電子メールになったのも、全て飛躍的な進歩。事象の延長線上で形作られたのではなく、文字通り「飛躍」するような進歩。そう言う閃きは天から降ってくるものなのだろうか。
一方で、変わらないものもたくさんある。
鉛筆も、メガネも、ノートも、馬も、手紙も、変わらずまだ私たちの生活の中にあって、これらはこれらですでに一つの完成形なのだと教えてくれる。
完成不十分だったものは、きっと保管こそされ残っていない。それらは流れの中の一つの折り目のようなもので、何かの進歩を助けたかもしれないし、はたまた実用性が伴わず廃れてしまったものかもしれない。
それで、何が完成形なのかが少し分かる気がする。
傘も、器も、テーブルも、ナイフもフォークも、見渡せば研ぎ澄まされた完成形で世の中は満ちている。
(5月2日筆・20分)
zuihitsu・・・前日自分に課したキーワードをお題に、最低400字(原稿用紙1枚)で書く練習をしているものの一部出し