ピカソは私の絵を描けない

 

 

本当はもう少し早く更新したかったのだけどバタバタしていました。

 

上の写真は、たんの和菓子店さんのために作った辰のポスター。

それをInstagramで見たマレーシアの甥っ子くんがとても気に入ってくれたらしく、母親である姉経由で催促してくれたので、丹野さんに許可をもらい(依頼品でも著作権は私にあるんだけど、勝手なこともできないのでね)、特別に追加発注してマレーシアに送りました。ロゴは抜いて、直接サインを書きました。

 

甥3歳、姪0歳頃?
甥3歳、姪0歳頃?

死ぬほど可愛かった甥っ子くんも今はニキビが象徴的な高校2年生(今でも可愛いよ♡)。

 

一年前に会った時は甥も姪もほとんど口をきいてくれないシャイな思春期真っ盛りで、甥に関しては物欲がないから全然お金を使わないといっていたのに、そんな彼がなんと私の作品を欲しいだなんて!これが想像以上に嬉しくて、叔母さんは嬉々として用意してしまいました。せっかくだから日本のお菓子とか姪へのプレゼントも丸めたポスターの隙間に詰め込んで(笑)、無事に彼の地に届きますように。

 

***

 

そんな甥っ子くんも来年には受験を控える高校生。

 

昨年から私の周囲にそんな子が増えて、急に塾の話題が多くなったので気になっていました。

 

前回のブログでなんか誤解を与えてしまったかなーと思って早めに更新したかったんだけど、私が書きたかったのは、どう塾に行かずに成績を上げるかとかじゃなくて、「どうせやらなきゃいけないことをどう工夫するか」みたいなことだったのです。それで私は授業中の勉強をゲームにしたので、他人と争うというより、自分の中で競っていたのでその時はあまり辛いとかもありませんでした。(・・・いや訂正、その後の受験期ではかなり辛くなってました。)

 

勉強で点数を稼ぐことも、大人になってお金を稼ぐことも、ゲームと思って少し興じるのはいいかもしれません。

 

でも、ある時気づいちゃったんだよね。

絵を描き始めたとき、アフリカで。

 

絵ってどれだけ一生懸命描いても、どれだけ上手く描けても、誰も正確に数字にすることができないのです。それってなんかクールだなって。もちろんコンペとか、売れるようになったら金額とかで評価されることはあるのだけど、そんなのかなり不確かで一部の人の主観的評価。客観的で数学的な評価はどんな作品にも付けられないのです。こう気づいた時、不意に世の中の不思議な仕組みから抜け出せられたというか、やっと楽になれる居場所を見つけた気がしました。

 

別の言い方をすると、私はピカソほどにうまく描くことは一生かかってもできないけど、ピカソもまた、私の描く絵を描くことはできないのです。これ、実はみんなそうなんだからね!

 

以前シャガール(この方も大好きなロシアの画家)の自伝を読んでいて、若かりし頃のシャガールが「自分はピカソを意識しても、どうしてもシャガール(の絵)になってしまう」的なことを書いてて、そりゃそうでしょうよシャガールさん!と私は内心突っ込んでしまいました。むしろシャガールがピカソになってしまったら、大切なシャガールとしての文化的価値がこの世から失われてしまったことになります。確かにシャガールは一通りキュビズムとかピカソに影響された作風に挑戦しており、それらも例に漏れず素晴らしい出来栄えなのですが、色彩やモチーフにシャガールらしさがどうしても溢れていて、私はただただ、シャガールさん、シャガールでいてくれてありがとうと思います。

 

同じように、

 

「〇〇さん(←あなたの名前を入れてね)、〇〇さんでいてくれてありがとう。」

 

と、今私はあなたにお伝えしますよ。笑

 

 

***

 

 

今、甥っ子くんは少しだけ私が挑んだルートに挑戦しようとしてて、私は遠くからそっと応援してるんだけど、もしもかつての私のように点数ゲームに疲れてしまったら、絵を見たり描いたりして、はたまた別の表現で、誰にもなんとも言わせない自分だけの世界を見つけてほしいな。

 

 

 

去年の春。大きくなりました
去年の春。大きくなりました

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