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2020年

11月

23日

Missing You

mii & me  2020  (c)  Hanae Tanazawa
mii & me 2020 (c) Hanae Tanazawa

黒猫ミーを山中湖の山中で失踪させてから2週間が過ぎました。

 

気にしてくれている方もほんの少しいて下さるかもしれないので、その後の報告です。

 

それにしても、前回の文章は、その日のうちにガーっと書いたもので、翌日読んでみたら目も当てられないほど支離滅裂な内容でした・・・。なんともお恥ずかしい代物ですが、これはこれでそのときの感情表現ということで、そのまま残しておこうと思います。それにしても、ラブレターは夜書くなと言われたりするのがよくわかる気がしますね・・・。

 

 

前回、「裏庭とか軒下にミーの気配を感じる!」と思ったものですから、スケジュール的にきつかったけど翌日の藤野でのバイトを早くあげていただき、動物病院から捕獲器をお借りして山中湖にとんぼ返り。さっそく家の脇に仕掛けました。本当にこんな罠に入ってくれるのかな・・・なんて思っていたら1時間後…捕獲器の蓋が閉まってる!中を見に行ってみると、そこにいたのは・・・

 

「ごきげんよう」と言わんばかりの優雅な佇まいで、状況としては罠に捕まっている別猫ちゃん(笑/涙)
「ごきげんよう」と言わんばかりの優雅な佇まいで、状況としては罠に捕まっている別猫ちゃん(笑/涙)

なんとも美しい小猫ちゃん!笑

 

毛が長くて上品な表情で、懐中電灯に照らされてもおびえる様子もなく。もしかしたら何かの血統書付きかしら?と思う優雅さ。こんな山の中で、こんな美しい動物を捕まえると思っていなかったのでびっくり!苦笑いするしかなく・・・。

 

たぬきとかならまだ分かるんだけどー(涙)な想定外の展開だったので、捕獲器を手配してくれた元トリマーさん(私よりも若いバイトの先輩)に電話すると、大爆笑。「うーん、そんなに綺麗で人慣れしてるんだったら、近所で飼われてる猫ちゃんが散歩中に入っちゃったのかもね」ということで、念のため迷子猫の情報も確認した上で逃がしてあげました。とりあえず、捕獲器がちゃんと使えることは確認できました。笑

 

もう入ってくるんじゃないよ
もう入ってくるんじゃないよ

でもまぁ正直がっかりはがっかりで・・・。そしたら、前日に感じた猫の気配は、ミーじゃなくてこの子だったのかぁ・・・。この子の縄張りだとしたら、ミーは家に近づいて来ないかな・・・。

 

でも、その時ふと思ったのです。この子は優雅で美しくて、若くて可愛いけど(6ヶ月くらい?)、私にはやっぱり、あの骨太で鼻ったらしでどこにでもいそうでかけがえのない、あの普通の黒猫ミーがいいなぁって。たとえミーが帰って来なくて、わらしべ長者のように、この美しい猫ちゃんを次に飼えたとしても、きっとミーを失った穴は埋められないだろうなぁって。

 

金の斧か銀の斧か普通の斧か尋ねられたら、私は迷わず自分の大切な普通の斧を選ぶと思ったのでした・・・。

 

その後は、自作でポスターを作り、ご近所さんに配ったり、コンビニや郵便局、レストランなどに掲示をお願いしてまわったりしました。

 

いくつかいただいたご連絡の中で(ご連絡いただけるだけでも、誰かが覚えてくれてるんだと心が温かくなります)、唯一有力に感じたのが、湖畔近くにあるレストランからの電話。「はっきりとそうとは言えないけど、大きめの黒猫が単独で敷地内を歩いていたらしい」といわれ、5日くらい経ってしまったけど、今日テイクアウトコーヒーを飲みながらしばらく外のカフェにいさせてもらいました。しかし、そう簡単に見つけられるはずもなく・・・。明日もまた行ってみようと思います。ずっと天気が良かったのがせめてもの救いで、あれ以来、山中湖の天気予報が気になる毎日。今日は曇り空。もう少ししたら本格的に冬の気温になっていくんだって・・・。

 

他にそれらしい情報もなく、こんなに長い間姿を見られずにどう過ごしているの?と思うけど、私がいない間は両親にたのんだりして家の玄関先に置いているエサは何度か消えており(!)、今晩はまた罠をしかけてみています。

 

ミーちゃんが入ってくれるといいな・・・。

それともまた、あの優雅な金の斧ちゃんが入っちゃうかな。

 

・・・そんな感じで、捜索まだまだがんばります。

 

 

と、「そうさく」って漢字変換したら最初に「創作」って出てきました。

想定外の日々にあたふたしながら(←自業自得)、創作の方もなんとかがんばっています。こんなときだけど、作らなきゃいけないものがあるというのはそれはそれで癒しです。

でも、創作の傍らに、やっぱりミーがいてほしいな・・・。

 

気にして下さっている皆さん、本当にありがとうございます!

 

(上の作品含め)今年の5月頃
(上の作品含め)今年の5月頃
帰っておいで
帰っておいで

2020年

11月

09日

私に知らせて、なぐさめて下さい・・・。

ちょうど去年の今頃、懐き始めた頃
ちょうど去年の今頃、懐き始めた頃

11月8日は起き抜けにバイデン候補の当確のニュースを知り、

足下ふとんの上で寝ていた黒猫のミーちゃんに、「今日は新しい朝だよ!」

と言いながらチュッチュしてカーテンを開けた。

 

連休になったのと、天気が思いの外良くなったので、

午後になって急に思い立ち、迷っていた山中湖行きを決めて準備した。

今年の山中湖の紅葉がとりわけ素晴らしいと聞いてしまっていたから。

迷ったけど、初めてミーも一緒に連れていくことにした。

それが、後悔の始まりだった。

 

日が暮れる前に着きたいと気がせった私は、彼の抵抗を無視して抱き上げキャリーバッグに押し込んだ。車の助手席に乗せ、クネクネ山道をどんどん行く。後ろの荷物スペースには犬のさんちゃん。

しばらく、不安な時に発する低い唸り声で鳴いていたけど、

途中バッグに手を入れてなでていたら、ひっかいてくるでもなく、比較的大丈夫そうな感じ。

ふいにすごい勢いで顔を突き出してきたから、

まぁ平気だろうと助手席に座らせたらすぐに座り込んで落ち着いた。

でも逃げられないように、気をつけなきゃ。

途中100均で、つけたことのない首輪を買ってはめたけど、これも全く抵抗しない。

キャリーバッグが嫌だったのかな?

案外このままでもなんとかなるかも。

間に合わせの子犬用リードも首輪につけ、

ミーのトイレが気になったのもあり、

家についてそのまま地面に降ろしてしまった。

ミーは怒ったようにグイグイ歩き出し、

あっという間に安い首輪のホックが外れてしまった!

あ、しまった!

ミーは知らない山中湖の土地をグングン山の方に登っていく。

見失わないようにと私は必死で後を追う。

あっという間に車道を越えて人の入らない森の中に入ってしまった!

追ったら余計上に行きそうだったから、

私は道路に立ち止まりひたすら下から呼びかけた。

最悪、下に降りてくれればいい。

時は5時前。日はどんどん傾き暗くなっていく。

もう時間がないなと思ったとき、私はこのままでは後悔しそうだったから、

森に踏み入って、ミーが最後にいた辺りで必死に名前を呼ぶ。

何分くらい呼んだだろう。

気付いたら、思っていたより近くの木の根っこにじっと臥せてこっちを見ていた。

「いた!」私は嬉しくなって、

「ミーちゃん!」と一歩二歩近づいた。

ミーは一番の恐怖が私であったかのように、あっという間に山の奥まで逃げてしまった。

止まっ・・・たように見えた。

暗くなるし、追ったらもっと遠くに行ってしまう。

私は道路に戻って名前を呼びながら、

帰ってくる方向はこっちだよと何度も念じて家に帰った。

実はその間犬のサンちゃんは近所の柵につながれて、彼は彼で不安な状況にしてしまっていた。

暗くなったら何もできないし、最後に臥せていた姿が、

まだ私の側から離れるつもりではない気がして、それが安心材料となって、

その夜は数カ所にエサと水を置くだけにした。

 

当日の予定では、ミーを家に残し、さんちゃんを連れて湖畔沿いの

紅葉のライトアップに行こうと思っていたけど、そんな気持ちもすっかり失せた。

オンラインの仕事を持ってきてしまっていたので、そんなことをやって、

眠れないながらもなんとか2時過ぎ寝た夢の中でも、やっぱりミーを探していた。

 

早起きが大嫌いな私だけど、今朝はなんとか7時台に起きた。

 

まず朗報!前日玄関先に仕掛けたエサがなくなっている!

他の動物かもしれないけど、2つの小さな鉢に並べたエサと水。

散らかすことなく上手に食べてる。

ミーかな?ミーであってほしい!

 

私の実家は別荘地内にあり、周囲にポツンポツンと別荘が点在していて、

人は来てたり、いなかったり。

 

たまたまミーが前日通り抜けたお家の庭の横を通ったら、

人が出てきたので声をかけた。

女性の方はすごく心配してくれたけど、

ご夫婦はすぐに車に乗ってどこかに行かれた。

 

猫はとりわけ耳がよく、20m先のネズミの足音も聞こえると

前日の夜眠れぬ布団の中で調べて知ったので、とにかく名前を呼んでみる。

方向を聞き分けるのも、犬や人間よりも正確らしい。

とにかく、来るべき方向さえわかってくれればいい。

私じゃなくてもいい、誰かの前に姿を見せて・・・。

 

情報を書きなぐったメモを持って、見かける人たちに声をかける。

今まで遠くから見ることはあっても挨拶すらしたことなかった近所の人たち。

説明しながら、すぐ涙声になってしまう。

皆さん同情してとても優しい言葉をかけてくれた。

「自分も」「隣の人も」「犬を」「猫を」失踪させて、「帰ってきた」「帰って来なかった」。

色んな共感の声と励ましをいただく。

 

ミーと私の最初の出逢いがそうだったように、

私は、彼がどうしてもお腹が空いたらちゃんと人に頼ると思っている。

今回はギリギリ2泊しかできないけど、またすぐ戻ってくる。

皆さんの優しい言葉を受けて、少しずつ冷静になって、

長期戦に乗り変える気持ちになっていく。

 

一日中、何をやっても後悔が渦を巻く。

一日くらいだったら、置いてくるのが正解だったと、ちょっと調べれば出てきた。

キャリーバッグに押し込んだ時のミーの必死の抵抗。

車中の不安な時に出す、いつもと違う低い唸り声。

最後に触れた毛の柔らかさや温もり。

逃げながら、私を恐れるように振り向いた目。

 

名前を何度も連呼しながら、私が呼ぶから出て来ないんじゃないかと思えてきた。

どんなに信頼し合っていても、一度大きく裏切ってしまったら帳消しになってしまうことだってある。私はミーにとって、ひどい裏切りの人間、一番信じられない人になってしまったのかもしれない。

 

夕暮れの5時までが勝負と思い、できることは全部した。

役場、保健所、警察署、別荘の管理事務所にも連絡して。

知らないお宅にピンポンして。

何度も同じところを行ったり来たり。

森の中に座り込んで味のしないお弁当を口に詰め込んで。

 

今回これをわざわざ感情的に書いているのは、

どちらかというと自分が忘れないように記録するため。

昨日今日は自分で起こした最悪な日でありながら、

近所にこんなに優しい人たちが住んでいると知れた素敵な日にもなった。

そのことを記録しておくため。

 

午後2時頃、気分転換に、やっぱりさんちゃんと湖畔の紅葉祭りを散歩することにした。

目の前におじさん、おばさんが手を繋いで紅葉を指差しながら楽しそうに歩いている。

この世に生きる人みんなが、その手の温もりをどうか忘れないでと思う。

人が人を愛する勇気とか、失う恐怖とか。

バイデンさんは前妻と一歳の娘さんを亡くしたんだよな。

息子さんにすら先立たれた。

それで70いくつになってアメリカの大統領か。

 

 

紅葉なんて見てる場合かと思ったけど、悔しいかな、

こんな時でも紅葉はやっぱり綺麗で、写真なんか撮ってしまった。

 

朝一で話しかけたご夫婦はまた戻ってきて、

お話したら、なんと偶然にも奥さんの方が普段から動物の保護活動をされている方と発覚!

ご自身も猫を何匹も保護して飼ってて、だからとてもご理解があり同情的で、

すごく実用的な情報をいくつもいただいた。

午後にもう一度見失ったところに行ったら、

向こうからわざわざ歩いて探して下さっているところに遭遇。今朝初めましてから早3度目。

色々と話しているうちに、

本当に心強い気持ちになって冷静になり、涙も奥に引っ込んだ。

こんなきっかけがなかったら、私は素敵なご近所さんを知ることがなかったと思う。

 

こんな親切な誰かのお宅を頼ってくれればいい。

とにかくすぐにでも、大好きなご飯と温かい居場所を確保してほしいの、ミーちゃん。

 

そうだ、忘れずに全部、今日感じたこと書いておきたいんだ。

何度もよぎったのはサンテグジュペリの「星の王子さま」。

「星全部が笑ってるような気がする」は、「山全部がミャーと言ってる」みたいだったし、

「最後に、もしも王子さまを見かけたら、手紙で知らせて私をなぐさめて下さい」というところは、「ちょっとした目撃情報でもいいので教えて下さい」になった。

同じ作者の「夜間飛行」かな、「人間の土地」かな、忘れたけど、悪天候で方向を見失った操縦士が小さな光のきらめきにギリギリの希望を託す心理を、私は遠くの黒い岩とか腐った木の根っこの影に何度も何度も見た。

 

後悔先に立たず。

覆水盆に返らず。

 

小学生のころ自分で実験をしても知ったんだ。

時間は戻らないってこと。

1つの石ころを蹴って、

それを全く同じところに戻して、

全く同じところに蹴られることなんてないんだってこと。

たとえ奇跡的にできたとしても、その軌道は違った形を描いてるだろうし、

その瞬間に周囲は変化してしまっている。

全く同じ時間なんて一瞬もない。

 

コロナでたくさんの人が死んでしまった。

その人たちは、何をどうやっても、帰ってはこない。

 

 

でも・・・実はさっきから、唯一の希望、仕掛けたエサがなくなっている!

庭の玄関から少しずつ近づけて置いたエサが、もう3回もなくなっている!

この辺でいるとしたら、シカがたくさんと、イノシシは噂程度。

シカもイノシシも、あんなにお皿を動かさずきれいに食べれるかな。

これを書いてる途中、裏庭の落ち葉がカサカサいう音がして、

何かが軒下に潜り込んだ気がしたんだ。

ミーかな?

ミーだと思う!

でも呼んでも気配を隠してる。

私のことが嫌いだから。

 

昨日よりも今日は寒く、吐く息が夕暮れ時には白い。

万年涙・鼻水垂らしのミーのぐじゅぐじゅの顔を思い浮かべたら

夕食の冷凍ピザを温めながら情緒不安定な人みたいにまた声を上げて泣いたよ。

あの汚い顔をティッシュで拭いてあげるのが好きなんだ。

どちらかというとブサイクなあの顔が大好きなんだよ・・・。

 

明日の朝発つギリギリまで、まだ時間はある。

ミーちゃん、ごめんね。

扉を開けて、ごはん置いておくからね・・・。

 

 

 

2020年

10月

19日

看脚下

元気娘 A Fine Girl 2016 ©︎ Hanae Tanazawa
元気娘 A Fine Girl 2016 ©︎ Hanae Tanazawa

 

今年になって動画制作を主軸に一人で会社を立ち上げた知人がいて、彼の会社名が、「看脚下」。

 

「看脚下(かんきゃっか)」とは禅の言葉らしく、意味は、「自分の足元をみよ」「足元に注意せよ」「履物を揃えて脱げ」「己の立脚するところを忘れるな」などなど(Weblio辞書参照)。

 

最初に会社名を「看脚下」にすると聞いた時、「カンキャッカ?カンキャッカ・・・かん、却下?」え、その響き、経営的に大丈夫?なんて勝手に心配したものですが(笑)、最近になってふと、いい社名をつけたなぁと思う。看脚下。自分の足元を看よ。

 

この看脚下代表取締役(←一人だけど)花田氏とは、とは言えほんの一年ほどの仲。金沢文庫の「たんの和菓子店」さんつながりで増えた知り合いの一人で、今では素敵なご家族にもお世話になりながら、私にもいくつかお仕事を紹介していただいたりして。最近では私のフリーランス業も気にかけてくれて、ちゃんと個人事業主になった方がいいよってことで、重い腰を上げて私もようやく勉強し始めました。ちなみに年齢は私より若いです、この文面だと伝わらないかと思い補足(笑)。

 

この花田氏のおかげと、私自身以前からいただいているお仕事や、全く新規のお仕事も重なり、最近になって急に片手では収まらない案件を抱えて驚いているのと、嬉しくてわかりやすく自分が浮き足立ってます。なんかほっといたら簡単に調子に乗ってしまいそう、と、時々自分を引っ張り下ろしながら、それでも納期が来年に及ぶものもいくつかあり、今までよりも少し目線が遠くにある感じ。ふわふわして、どの仕事から取り掛かろう、とか、他の案件のことが気になったりしてどうも一つの仕事に集中できない。

 

 

そこに浮かんできたのがこの言葉。「看脚下」。

 

 

足元を看なさい。

目の前のものに一つ一つ、丁寧に、有り難く取り組みなさい。

今までのように、これからも、ずっと。

 

お仕事がいただけて浮かれそうになるのも一つの未来。

お仕事が同じようにあるかなと心配するのもまた一つの未来。

 

だけども、将来のお仕事を呼んでくれるのも、

きっと今目の前にあるこの仕事だから。

しっかりそれに集中しよう。

 

よし、今日、明日はイラストの案件と、テキスト制作のお仕事を進めて・・・。

 

 

 

・・・と、思った矢先、また普段より割のいい(翻訳の)案件取ってしまったー!(こちらはクラウドで受託するお仕事なので、私が取らなくても他の翻訳者さんが取れる仕組み。)

 

目の前の自分のお仕事さっそく先延ばしー!

 

欲め!!

煩悩め!!(←違うか?笑)

 

と、自分を攻めながらも(苦笑)、でもなんでもできるだけのことはしたいし(翻訳の仕事も大好きなんです)、全部のお仕事できちんと満足してもらえるように、看脚下精神で頑張りたいと思います!

 

 

(新規ご依頼・お問い合わせも随時お待ちしています!)

 

 

 

2020年

9月

22日

On this Winding Road

Cycling Under the Moon 2003(?) ©︎ Hanae Tanazawa
Cycling Under the Moon 2003(?) ©︎ Hanae Tanazawa

 

私は今住んでいる神奈川県の藤野と山梨県の山中湖村を行き来するとき、大抵いつも道志村という綺麗な川沿いの村を通る。昨日おとといも山中湖の友人のカフェを手伝い、山中湖畔では初めて渋滞に30分ほどはまりながら夜な夜な帰ってきた。

 

このルートは普通に運転するとぴったり1時間くらいの道のりで、信号が少ないくねくねした山道。通過する道志村は、透明に澄んで夏でも冷たい道志川がきれいな小さな集落で、両サイドを森に囲まれ、天気がよければ大きな富士山も見える。そのためか、ガチなライダーや自転車乗りも多く、気をつけながらその時々に好きなことを思うのだけど、最近は通るたび必ず考えることが3つある。

 

 

***

 

 

1つ目。コミュニケーションのこと。

 

この道を通るようになってまだ2年くらいだけど、この短い間に、バイクのライダーたちとのちょっとしたコミュニケーションが非常に爽やかになった。

 

以前は煽られているのを感じると車を脇に寄せ、彼らのこれ見よがしな(?)加速音とともに走り去る後ろ姿を見るだけだったのだけど、この1年くらい、同じような状況では、通りすがりに少しだけヘルメット頭をこちらに向けて、左手をさっとあげて会釈していく爽やかなライダーが急増した。誰が広めてくれたマナーなのか知らないが、今ではほとんどのライダーがこの仕草をして通り過ぎてくれて、こんな些細な動作一つで、道を譲った方の気分は全然違うんだなとちょっとびっくりする。

 

カーブの多い一本道だから、当然車同士のスピードの出し方にも違いがあり、煽るつもりじゃなくても結果的に私も煽ってしまっているような場合もある。私は前後に車がいないのが好きなので、後ろに車がつくと早めに譲るようにしているが、時々、背後は一切構いませんというなかなかハートの強い車もいたりするので、そういう時に私は、「すみません、お願いですから道を先に譲っていただけませんか?」と、背後から何かしらの方法で合図を送れないかと考えたりする。それができないうちは、私はただの感じの悪い煽り屋のまま(そこまで超接近はしていないけど!笑)。本気で急いでいるときは、こっちの性格もまぁいとも簡単に悪くなるもので、人間ってちょっとコミュニケーションが取れないだけでこうも不自由するんですね。私なりにライトとかクラクションを使う方法を考えてみたけど、伝わらないうちはきっとそれも煽り行為・・・。なんだろう、LINEスタンプ的な軽やかな意思疎通アイテムとか?これに関しては個人的ニーズがありすぎて(←どんだけ普段煽ってると思われちゃうかな笑)、何らかの方法が見つかったら相当のヒット商品になると思いますので、閃いた方は積極的に商品化して世に広めてほしいと思います!ま、一番の解決方法は時間に余裕を持って出かけるってことなんですけどね。

 

コミュニケーション。

 

難しいようで、ささやかなこと。

 

 

Silent Yamanakako 静かな湖畔 2003年(?) ©︎ Hanae Tanazawa
Silent Yamanakako 静かな湖畔 2003年(?) ©︎ Hanae Tanazawa

 

2つ目は、開催されなかった東京五輪2020のこと。

 

もし開催されていたら、このルートの大部分が、自転車競技に使われている予定だった。すっごく多くの観光客がこの場所を訪れ、この静かな村が国際色豊かな人々で溢れたのだろうなと思うと、ひっそりといつものまま佇ずむこの村を見て、起こらなかったパラレルワールドの不思議を思う。

 

山中湖畔もルートになっていたので、今でもあちこちに東京五輪のフラッグやポスターを見かける。片付けるタイミングを見失ったのか、来年に希望を引き延ばす意味で敢えてそのままにしているのかわからないけど、正直見ていて少し痛々しい・・・。

 

道志川で遊ぶサンディー 2015年夏
道志川で遊ぶサンディー 2015年夏

 

3つ目は、昨年道志川のキャンプで行方不明になった小倉美咲ちゃんという当時小学校1年生の女の子のこと。たまたま通った昨日9月21日は、彼女が行方不明になってちょうど一年目の日ということだった。実は山中湖ももう夜は寒くて、その日も前日も、私は家で灯油ストーブを焚いてしまったほど(!)。テレビでインタビューに答えていた美咲ちゃんのお母さんは、「当時も今日のようだった」と話していて、こんな冷たい空気の夜に、一体何が起こったのかと今でも不思議に思う。この一年、私たちがそれなりに色んなことを楽しんでいた合間にも、一日も心から楽しめる日はなかったんだろうなと、ご家族の辛さを想う。私はなんとなく誘拐事件だと思っているから、どうか美咲ちゃんがまだどこかで元気でいますように。彼女のSOSに一日も早く気づくことができますように・・・。

 

フーテンの戌さん 2015年夏 道志川にて  「なぁに、大丈夫だよ」
フーテンの戌さん 2015年夏 道志川にて 「なぁに、大丈夫だよ」

 

*** 

 

もう一つおまけで考えてしまうのは、友人がこの道志村に嫁いでついにこの夏家を建てたので、いつ遊びに行こうかと思っていること!

 

ぜひとも夏の間にと思っていたけど、

夏はもうすっかり終わってしまったようですね・・・。

 

 

 

 

2020年

8月

29日

人が死ぬ月

8月といえば世間では遊ぶ月。

でも私が育った山中湖では、サラリーマン家庭以外はとにかく一日も休まず働く、働く、働く月!極端ではなく、7、8月に年収の大部分を稼ぐところもあって、夏の終わりにはみんな心身ともにボロボロ。同業者同士、買い出し先のスーパーなんかで会うと「あと少し、あと少しだね〜」と励まし合って生き延びるのが定例で、文字通り、アリとキリギリスのアリのような生活スタイルなのだけど、私はメリハリがあってそんなサイクルが好き。世間の夏休みムードがすっかり落ち着いたころ、自分たちのタイミングで休みをとって遊びに行けるのも魅力的。

 

そういう理由で8月は私の年中サイクルの中でも一番よく(創作活動以外の部分で)「働く」月。人が忙しくしてるのに手伝わないのは少し罪悪感を感じるくらい。

 

それだけじゃなくて、8月はよく「本を読む」月でもある。よく、「読書の秋」っていうけれど、私には「読書の夏」っていうのもあって、普段なかなか手を伸ばせない重めの文学作品とか、文章量のあるものに取りかかるのはけっこう夏だったりする。

 

理由も単純で、ペンションとか宿系の仕事は、早朝から夕食の片付けまで就労時間が長く、その代わり昼の休憩時間もまあまあ長い。そこで一旦家に帰り、私は庭先の(小さな我が実家で一番居心地のいい屋外リビングとも言える)ハンモックで、ウトウト昼寝したり、そして読書をして体を休めるのである。葉っぱが擦れ合う音は心地よく、合間を通り抜けて肌に触れてくる空気はひんやりと気持ちがいい。本当にこの時間で心身がリセットされる。

 

 

 

2年前の夏はまとめて谷崎作品を何作か読んだ。それを思い出して昨年くらいに作った「趣味の」装丁。原画は2015年度作。(c) Hanae Tanazawa
2年前の夏はまとめて谷崎作品を何作か読んだ。それを思い出して昨年くらいに作った「趣味の」装丁。原画は2015年度作。(c) Hanae Tanazawa

 

 

とはいいつつも、今年はあまりまとまった時間がなくて例年ほど読めてはいないのだけど、いくつか読んだものは、気がつくとどこか戦争に触れているものが多かった。

 

考えてみれば、第2次世界大戦以降の、とりわけ私が最近好む昭和という時代は、小説であれ自伝であれドラマであれ、全て戦争があって初めて語ることができる時代。「戦後復興」「高度経済成長」「近代化」なんて言葉はどこか魅力的で、今まではその眩しく上がり調子な部分ばかりに目が行ってたけど、その右肩あがりの銀光りする滑り台の、本当に下の下の泥沼の地面まで想像力で落ちてみたことが、私は今まであまりにもなさすぎたかもしれない。本当は私たちの今の歴史は、その泥沼の地面の上に立っている。

 

***

 

 

今回つま先くらいでも、その泥に触れたかなと思ったのは、小田実さんという方が書いた、パラオのペリリュー島での日本軍の玉砕を題材にした小説。私の大好きなドナルド・キーンさんからたどり着いた。

ペリリュー島は、私の父方の実の祖父が戦死したところ。そんなことを知ったのもほんの数年前で、そのときはその風変わりな島の名前を頭に叩き込むだけしておいた私。私どころか父も祖父を知らないので、これまで一向に語られることもなく、感情を動かすにはあまりにも他人すぎた祖父だけど、冷静に考えると、その人の血は確実に自分の中に流れて今、私の心臓を動かしている。建前以上の興味を持ちにくかった戦争を知るには、私にとってこのおじいちゃんが唯一、本当に降りていける滑り台かもしれない。

 

おじいちゃんは軍医だったから、あいにく代用して読めるような登場人物は小説の中にはいなかったけど、アメリカ軍に2、3日で制圧できると思われていた日本軍が、複雑な洞窟を駆使して3ヶ月近く粘ったことや、玉砕直前までギリギリに追いつめられていく凄まじい様子は本当に少しだけ、感じ取れた気がする。本を閉じてからペリリュー島をネット検索すると、描写されていた洞窟内部の画像などが出てきて、いつか、その地に降りてみたいと思うようになった。おじいちゃんを足がかりに、戦争のことをもう少しきちんと知ることが、直感としてなんだか今すごく重要な気がする。・・・今の時代のこの不安定な情勢が、そんな気持ちにさせるのだろうか。

 

 

***

 

 

話が反れるようだけど、以前働いていたペンションのご夫婦にようやくクサボケちゃんを届けることができた先日、そのご夫婦のお知り合いで引退したペンション仲間のご主人(私は知らない)が最近、観光に訪れていた車とぶつかって亡くなった話を聞いた。ようやく懸命な働きアリが優雅に暮らせたかもしれないという、これからのとき!相手方にも、双方の家族にも情が湧く。

 

数日前は別の知人のおじいさんが、自宅でお昼を食べ、おばあさんも側にいる中で昼寝をしながら亡くなった話を聞いた。それは私が人生で聞いてきた中で、最高の亡くなり方!

 

どちらも突然の死の話だったので、知らないなりにもそれなりにショックを受けた。私はこの年になってもありがたいくらい死に縁遠く生きてきており、そういう話は子ども並みに聞き慣れていない。かと思ったら、ちょうど今読んでいる本の登場人物も8月24日に亡くなったという文章に出くわす!小津、黒澤に先んじて日本の巨匠と言われていた溝口健二という映画監督。こちらは病死だった。

 

そういえばお年寄りは真夏と真冬によく死ぬという。

統計を調べようと思ったら、やけにコロナのデータばかり上がってくるからやめた。

 

でもよく考えたら、これまでも8月は、すごくたくさんの人が死んだ月だった。

 

 

 

 

 

2020年

7月

21日

船とロケット

A Lonesome Journey  孤独な航海  2012  ©︎ Hanae Tanazawa
A Lonesome Journey 孤独な航海 2012 ©︎ Hanae Tanazawa

 

今日は早くも7月21日!

 

こんなに7月感のない7月は、大げさでなく人生で初めてかもしれない。

長引く梅雨のせいでもあるけど(それに関してはその後の真夏が怖すぎて意外と嫌いではない)、それだけではない。

 

7/8から7/17くらいは、心の中も相当の空模様だった。

どこからまとめたらいいかもわからないくらい。

 

*今回書くことは主にネットで感知した人の中では「相当」ざわついていたのだけど、世間一般的なところまではいかなかったので、フォローしていない人にはこの心情は伝わらないかもしれない。政治に関する話です。前置きとして。

 

色々、ここでもインスタでも、時々あえて政治的なことを書くようにチャレンジしているんだけど、実は書くこと以外にもこの夏はチャレンジしようとしていたことがあった。

 

それは私が応援する、れいわ新選組の「元」(になってしまった!ところが問題の核)公認候補大西つねきさんの講演会を山梨で主催しよう!というもの。一人への声かけから、数日のうちに早くも5人の仲間が集い、会場を見たり、チラシを作成したりとかなり順調に準備をしていたところ・・・。

 

7/3のつねきさん配信による動画内で、「政治家は命の選別をするべき」というような発言に問題ありと、7/7くらいからネット上(特にれいわ界隈)で大騒ぎになってしまい、なんと7/16にはつねきさんがれいわ新選組から除籍されるという結果に・・・!詳しいことはあまりにも長くなるので下記リンク動画などで調べてみてほしいが、要は、私が一番応援している「れいわ新選組」という政党と、その中でも一番に応援していた「大西つねき」候補者が、袂を別つことになってしまったのだ・・・。

 

ネット上では、つねきさんにも、れいわ新選組や山本太郎さんの対応にも、ものスゴーーーーイ数の解釈と非難、擁護が行き交い、読むのも聞くのも精神的にかなりしんどかったけど(しんどさを悪化させたのが、ちょうど同じタイミングで行方不明になった我が家の愛犬!死に場所を求めて旅立ったかと思ったけど、無事に保護されて5日後帰ってきました)、結論だけ言うと、私は変わらず「れいわ新選組」という政党と、「大西つねき」という個人を両方とも応援し続けることに決めた(少なくとも今は)。私なりに双方の言い分を聞いて、個人的にはやはり基本的な理念や方向性が違ったのだから仕方がない、という結論に至った。肝心の問題発言の部分だけど、私はもう一年半もこの方の発言に耳を傾けていたので、言葉の選択はかなりまずかったとは思うけど、ご本人もそれを認めたのであとは言うことなし。

 

*・・・と、ここまででどういう話なのか気になった人は時系列を追ってチェックすることをお勧め(どれもまぁまぁ長いので、質疑応答部分は省略してもよいかも)。大まかにこの3つ。

 

7/3 大西つねきさんの問題となった動画

7/16 れいわ新選組山本太郎氏による、つねきさんの処分に関する会見

7/17 除籍後の大西つねきさんによる記者会見

 

 

 

ほぼ完成していたチラシ・・・会場を抑える3日前に大騒動になってしまいイベントそのものは保留に。でも今は見送ったとしても、いつか更新して使います(たいです)!
ほぼ完成していたチラシ・・・会場を抑える3日前に大騒動になってしまいイベントそのものは保留に。でも今は見送ったとしても、いつか更新して使います(たいです)!
つねきさんの肩に乗っけたれいわ新選組の旗は使えなくなっちゃった
つねきさんの肩に乗っけたれいわ新選組の旗は使えなくなっちゃった

私が思うれいわ新選組の良さは、弱者に寄り添い、今、すぐ、ここ、と言うスピード感や、庶民的目線。すぐそこにいる、という感じがする。

 

つねきさんの良さは、様々なボランティア経験や自営業経験からもくる、人々の心というミクロへの共感性に加えて、もっと遠くて大きくて明るい未来へのマクロなビジョン。特に、「お金の発行の仕組みを変える」という壮大なビジョンは、本気で叶えたいと思えるワクワクするもの!

 

というわけでこの双方、大枠一致しているように見えていたけれど、考え方にズレが生じていったのは、新型コロナがきっかけだったみたいです。物事が起これば、捉え方も人それぞれ。まさかあんなことが、こんなことになってしまうなんてね。

 

 

***

 

そうやって考えると、政党っていうのは、1つの大きな船のようなものかもしれないと思えてきた。

 

 

基本理念は、その船底の部分。その中に抱える議員はそれぞれ個性的な部屋を持っていてもいいかもしれないが、肝心の船底部分はある程度統一した素材が提供できて、水漏れを起こさないことが重要。それが、れいわ新選組は「誰もが生きてていい世の中にする」という優しい素材。

 

れいわ新選組の庶民感は、私にはどこかノアの箱舟のような、素朴な木造船を想像させる。

一人でも多くの人を救うために、金槌でトンカン船を建設しながら性急ぎみに進み出し、暗闇にサーチライトを掲げて、溺れそうな人々への呼びかけをやめない。

 

一方で、大西つねきさんは、おそらくもう少し未来的な素材でできていて、進行方向は水面的なものではなく、なんというか、天空に発するロケットのような印象。いずれは同じように水平に向きを変えて地球に寄り添い旋回するが、問題の指摘の仕方や見え方は、全然違う。現時点でこの方が見つめている方向は、実は全く境界線を脱したもののように思えてならない。

 

そう考えると、在籍わずか一年で、「大西つねき、ちょっと材質違うな」と判断されてもやむを得ないような気がしてくる。というか、この時点でその判断は正解だったのではとすら思えてくる。それはどちらが悪いのでもなく、地球と地球に住む人を助けるという共通した情熱があっても、その情熱に対して、船で動くか、ロケットで動くかの違い。

 

素朴な木造船の甲板にロケット台は建設できない。

だからつねきさんは再び大地に降りて、一からロケット台を建設に。

れいわ新選組は、ノアの箱舟をこれからも作りながら、動かし続ける。

 

 

私はそのどちらもあってほしい。

 

 

 

***

 

追記(7/24)

 

膨らみすぎるかと思ってやめたけど、分けて書くほどのことでもないので改めて追記。

 

ちなみにいらないのは、灰色めいた重くて小回りの利かないアメリカ製の軍艦。

強くて立派に見えるけど老朽化激しく融通が利かず、もういつ退去してもらってもいい代物。高みからでは周囲に溺れる人々も見えず、波風を感じにくい巨艦の中で、世は平和でうまくいっていると騙し騙され喜劇が続く。船底にボコボコと空いた穴は嘘と隠蔽で塗り固めても水漏れは止まず、頑強な船内で思考停止に陥り守られていると思っている人たちは、実は船が少しずつ沈んでいることを知らない。

 

 

 

 

 

2020年

6月

21日

幸福が玄関先に歩いて来た

The happiness walked toward me   2020 ©︎ Hanae Tanazawa
The happiness walked toward me 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

 

 

今日はそんなに書くこともないんだけど、

 

というよりも、他に書きたいことがまとまりそうもなくて

 

(そのうち書く旬を過ぎるかも、残念ながら)、

 

3ヶ月ぶりに念願の温泉に浸かれた今晩は、

 

肩の凝るような仕事をせずに就寝するつもりで、

 

せめて久々にブログでもと思いつつ、

 

まじめに文章まとめる気もないから、

 

今も横で寝息をたてる癒しの黒猫ちゃん賛美。

 

 

床で作品作ってるとそばに来てじっと座ってくれたり、

 

退屈になると私と仕事の間に入ってひっくり返ってみたり、

 

お腹が空くと足元に絡みついてミャーミャー騒いだり。

 

 

黒猫は縁起が悪いと言われがちだけど、

 

世界的には幸福の象徴と言われることも多いらしく、

 

玄関先に現れると縁起が良いとか、

 

幸運をもたらすとされることも。

 

 

我が家の玄関先に来てくれた時は、

 

鼻たらしの幸福が近づいて来たと思ったよ。

 

ミーが幸福そのものだからね。

 

 

 

 

動物と人間がここまで通えるって不思議だ。

 

言葉が通じないから?

 

 

 

ミーは、なに考えてるんだろうなぁ。

 

 

 

 

Mii & Me

2020年

6月

07日

よくなっていこう

Cheer Up, Man!  励まし合い  2012 ©︎ Hanae Tanazawa
Cheer Up, Man! 励まし合い 2012 ©︎ Hanae Tanazawa

 

5月をブログ強化月間と称し、週に2回は上げる目標だったけど、いざフタを開けてみれば週に1回くらいのペースで終了・・・。自分ではそろそろ3日くらい経ったかなぁと思って書いてたのだけど、実は6日くらい経ってたりして。毎日が日曜日だとこういうことが起きます。

 

でもせっかくなので、以前よりはもう少しだけ頻度を上げて頑張りたいと思います(←どーだか!)

 

 

ここ数日は、翻訳のお仕事をいくつか続けてしていました。

 

私の「器用貧乏」さ(←「クサボケちゃん」の編集者さんに言われ、それ以来、なるほど私を一番よく表現していると思う四字熟語・・・貧乏をとって二字になるのが目標)がこういう状況の時には助けにもなり、久々に日本語と英語を行き来していました。

 

こちらはアメリカのクラウドサービスでお仕事を配給してくれる翻訳会社なのですが、登録時に試験をパスすれば受注できるようになるので、やったりやらなかったりで5年目くらいになります。最初からリモートなので、上司や同僚を小さなサムネール以外で知るでもなく、組織の末端に梅の実のようにぶら下がり、かろうじて繋がっているような、そんな距離感。でもそういうこともあってか、サポート体制はしっかりしていて、困ったらすぐにメールで連絡が取れたり、問題解決すると、サポートの働きはどうだったかと毎回フィードバックを求められたり。私の翻訳した文章も抜き打ちでチェックされて点数化され、いい点数やコメントをもらうとモチベーションも上がる仕組み・・・(その反対もある)。

 

そんなこんなで、未熟な末端果実としてでも、久々にアメリカの組織の中に属してみると、また色々と見えてくることがある。

 

アメリカって今色々あるけど、日本と比べると、やはり基本的に、下が上と戦う姿勢をしっかり持っている。ダメな部分は主張され、改善され、主張され、改善され、が繰り返し、しかも定期的に行われている。黒人と白人間の問題は、根深すぎて、なかなか劇的には変われないようだけど・・・。

 

 

今の翻訳会社では、時々アンケートが来て、この会社を他の人に勧めますか?っていうような、私が会社を評価するような機会が与えられる。最近はちょうど、ギャラが仕事に見合わないなぁって不満に思ってたところなので、そのように評価させてもらいました(おそらく皆さんの想像以上に安いです)。

 

Evaluation「評価」「査定」とか訳される)と呼ばれるこのシステムは、実はアメリカの組織では結構当たり前にやることで、以前働いていた教会のプレスクールも、年に一度「教員が」「ディレクター(校長先生)を」評価するタイミングがあったし(もちろんこういうことは全て匿名で、秘書が統計・活字化して渡す仕組み)。アメリカの大学でも、学期末になると、どの授業でも最後に「学生が」「先生を」Evaluateする仕組みになっている。基本的には用紙一枚に数字のスケールで答える項目があり、それ以外、言いたいことがあれば書けるところがある。もちろん悪いことばかりでなく、お礼なんか伝えたりすることも。

 

私、アメリカはそんなに好きになれなかったけど、こういうところは本当に合理的で、ポジティブで大好きです。

 

日本ではどうかなとちょっと調べてみたら、360度評価 (360-degree Feedback) という、上司、同僚、部下、関係者などの多方面から評価されるシステムが(やはりアメリカ輸入で)導入されるところも出てきたみたいだけど、せいぜい3割程度とのこと(ちなみにアメリカの大手企業では9割超えだそう)。

 

これって結構国民性を表してるなぁって思ったりするわけです。日本では、上は下からとやかく言われたくない(農民のくせして武士に楯突くとは何事か、から(いや、それ以前から)脈々と続く、生徒は先生の言うことだけを聞いていればいい、が律儀に継承されており)。下は言いたくても表現する方法を学んでいない。黙る、耐える、諦める、愚痴る、自分を責める、辞める、殺す、死ぬ、くらいの選択肢で大体完結させちゃうから、なんか色々勿体無いなと思ったりします。

 

下が上に対して、正式に不満を表現することができるシステム。任意とかじゃなくて、やらなければならないことになっている、「システム」。想像ですが、こういうシステムも、アメリカでは問題があるごとに改善策として、少しずつ進化していったのではないかなぁ、と思ったりするわけです。

 

 

かく言う私も、そんなにうまく自分のネガティブな気持ちを表現できるわけではありません。元来は日本人らしく避けて通りたいところがあるものの、アメリカでいいなぁと思ってからは、伝えにくいことを伝えることがもっとうまくなりたいと思うようになりました。だから、どうしてこの人に言われると喜んで動いちゃうんだろうなぁとか、どうしてこの人だと素直に謝れるんだろうなぁとか、そんな人に出くわしたら、あの人の何がいいんだろうってのをこっそり研究して、マネできそうだったらマネして、っていうことをやったりしています(まだまだ)。思うにそれはほとんどが、ちょっとした言葉の選び方だったり、声のトーンだったり、表情筋の使い方だったり、ウィットやユーモアだったり、相違を受け入れるおおらかさであったりします。この表現部門は、他の表現部門と同様、きっと永遠に修行の身です。

 

そんな身なので・・・

 

今のアメリカ、応援します。

 

香港の若者も、応援します。

 

 

少しずつ、よくなっていこう。

 

 

 

2020年

5月

22日

禅は円を描く

竹の子#2  color pastels  2020 ©︎ Hanae Tanazawa
竹の子#2 color pastels 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

かくかくしかじかの事情で、最近、禅ないしは坐禅について勉強中。

 

これが、なかなか面白いです。

 

今は図書館が使えず(もうそろそろ、貸出くらい良くないですか・・・)調べ物がネット情報だけだと心もとないので、追加で雑誌とスティーブ・ジョブスの本を1冊ずつ購入して読みかけているところ。

 

 

それで少しずつわかってきたのだけど、

 

 

禅って「今」を生きることなんだ。

 

過去でもなく、未来でもなく、「今」。

 

 

だから、その実践的修行としての坐禅は、今中の今である、一呼吸一呼吸に集中することが求められる。それを深く意識してすることで、囚われていた様々な過去の出来事や、まだ起きてもいない未来に対する不安を吐き出し、ひたすら「今」に意識を向ける。

 

これはなんでもないことのように見えて、実際にやってみると確かに良い効果があるような気がする。

 

 

***

 

考えてみると、私の一番最初の禅的体験は、二十歳手前で行ったアフリカの土地で、ボールペン一本で絵を描き始めたことだったと思う。

 

大した内容でもなかったのでとっくの昔に捨ててしまった当時の日記に、

「体の中で何かが爆発したがっているのを感じる。それが何なのかわからないのだけど・・・」というようなことを書いたのを覚えている。

 

それは人生に悩む若者ならではのグツグツと煮え立つマグマのような感覚で、その存在は確かに肌の下に大きくあって畝り、あちらかこちらかと必死に出口を探してうごめいている。私は吐き出したくても吐き出し口を見つけてあげられなくて、ただただモヤモヤとそれを抱えて困っていた。

 

運よくも、その日記を書いた少し後に、授業中にノートの片隅にいたずら書きしたのをきっかけに、私は部屋で一人こもって絵を描くことに夢中になった。

描き始めて割とすぐに、「私が人生をかけてやることはこれだ!」と解った感覚があった。(嬉しいかな、今日も絵を描き、同じ確信でいる!)

 

 

私にとって絵を描くことが、その他全てと違った決定的なこと。

 

それは、ようやく「今」を生きていると実感するようになったこと。

 

 

それまでの私は、無邪気に輝いていた子どもらしい「過去」と、それでも満ち足りていなかった数々の不満に対し「未来」を輝かしていこうということで頭がいっぱいで、その、種類違いではあれキラキラして見えた過去や未来に対し、「今」が現実的すぎて一番嫌いだった。今しなければいけないこと、今目の前にある平凡、悩み、解決しない現状・・・。一つ悩みが解決すれば、また別の悩みが生まれてくる。それは、鼻先にできたニキビ一つだったりするのだけど・・・。そうなると、そのニキビがまるで全宇宙の中心のように思えてきて、それがなかった過去や、なくなった後の未来しか欲しなくなる。今よ、さっさと過ぎ去ってくれ・・・!

でも未来にもまた、ニキビは確実にやってくる・・・。繰り返し。

 

 

絵を描くようになって、さっきまで単なる一枚の白紙だったものが、他のどこにもないユニークな存在に生まれ変わっていくのを目の当たりにし(上手い下手は別として!)、何か有機的な存在が目の前で生まれるのを最初に見る目撃者の感覚になった。こうなると、「今」が急激に面白くなった。

 

一生懸命取り組んでもうまくいかず終わることも多々あるのだけど、その、手を動かして楽しかった「今」という時間は、確実に自分を豊かにしてくれた実感があったし、そんな失敗もあるからこそ、うまく行ったときの喜びは大きかったりする。

 

 

私は、日本を飛び出しアメリカへ行き、ここは嫌いと憧れのアフリカの地へ来てもまだ悩んでいた。でも絵を描くようになってわかったのは、問題は場所じゃなかった。どこに行っても一緒についてくるのは自分の身体。自分の身体が幸せでなければ、どこに行っても幸せになれるはずはない。ようやく、どこに行っても幸せになれる方法を見つけた!

 

 

***

 

同じ頃か、アメリカに戻ってからか忘れたが、第二の禅的体験は夏目漱石の『草枕』の中にあった。有名な冒頭部分。

 

「山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。」

(夏目漱石『草枕』冒頭)

 

だから私は、絵を描くようになったんだと、それまでの20年という、自分にとってはそれなりに苦難も多かった道のりを、漱石はたったの8文で説明してしまった。私が絵に辿り着くというのは、漱石的には必然だったらしい。

 

 

それでも、今だって、いつだって、人生を考えてしまうタイミングはある。

 

でも今の自分を幸せにして、その「今」を積み重ねていけば、どこで終わっても一生が幸せになる。

 

他人を幸せにとか、人の役に立ちたいとか、そういう大義名分は、私は持ち合わせていない。そんな立派なことは、私などにはとても言えない。自分でも、なんで絵なのかわからない。それで誰かを幸せにするのか、社会の役に立つのかも。でも確かなのは、私は私という一人の人間を確実に幸せにできる。だから私は絵を描く。

 

 

そっか、私は絵を描き始めた時から、ずっと禅的思考を持っていたんだ。

 

 

迷走しそうになっても、思い出せばすぐ、円を描いて、いつものところに戻っていく。

 

 

 

 

竹の子#1  color pastels  2020 ©︎ Hanae Tanazawa
竹の子#1 color pastels 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

2020年

5月

15日

円 Circle 縁

Untitled 2020 ©︎ Hanae Tanazawa
Untitled 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

 

今日はちょっと面白い現象があったのでそのネタで一つ。

 

経験のある人もいるかもしれないけど。

 

 

最近、たんの和菓子店さんからのご縁で、横浜市金沢区にある禅寺さん、東光禅寺というところからたまにデザインのお仕事をいただくようになりました。

 

 

住職にお借りした一冊まるごと仙厓書画の本。有名な《○△□》
住職にお借りした一冊まるごと仙厓書画の本。有名な《○△□》

そもそもたんの和菓子店の定番商品として開発した○△□(まる・さんかく・しかく)シリーズは、この東光禅寺の住職さんがポツリと言った(「こういうお菓子が欲しい」的な)言葉を私が間接的に耳にし、それ絶対やったら面白いですよ!と商品化(と言っても新しく開発したのは一種類だけだけど)していただいたものになります。それを教えてくれた店主は、打ち合わせ時、あまり乗り気じゃなかったけど、翌日「△(さんかく)和菓子の新作できた!」と連絡してきたっていう逸話つき。笑

 

○△□というのは、結構禅の概念を象徴するものだったりするわけですね。それを書画で現し有名なのが仙厓和尚という方。惚れ惚れするような作品集を拝見し、いつか絶対本物を観たいと思うようになりました。

 

私はクリスチャンホーム育ちという背景がら、全くと言っていいほどお寺とは縁のない人間だったのですが、禅とか坐禅というのは少し思想として面白そうだなというのもあって、数ヶ月前、最初だけ打ち合わせを兼ねて伺ってきました(正直仏像はやっぱり恐いです)。お話ししたご住職が40代くらいの若い方で、海外経験も豊富かつ、いろんな宗教に対する実体験や理解も深い方だったので、色々とお話が弾み、今も新しく坐禅会用のイラストをご依頼いただいています。

 

とはいえ、禅や坐禅のことを知らなすぎるので、インスピレーション集めとして、オンライン坐禅会にも参加したり(とっても気持ちがいい実践的瞑想)、資料を探したりしているのですが。

 

でもまだどんなイラストがいいのかわからなくて、あぁそういえばミヒャエル・エンデもなんか言ってたかなと古い書籍を引っ張り出し(禅じゃなくて老子だったのかとか)、もっとないかなーとインターネットを漁っていたら、アップル創始者の故スティーブ・ジョブズが禅にはまっていたという記述があり、姉が置いていった本でジョブスの一冊あったなぁと引っ張り出し昨日完読。その中にちらっと出てきた仏教哲学者鈴木大拙(だいせつ)という方の名前をさらっとだけ記憶したと思ったら、今日読み返した、仙厓和尚の画集の中にその方が紹介されていて。

 

あぁなんか読んだものが繋がっている・・・と思って、今日、私が応援しているれいわ新選組の大西つねきさんの配信を見ていたら、余談でスティーブ・ジョブズの、私が読んだばかりのことを話し始めたから、おお、なんだ?!と思って。それに、つねきさんといえば、エンデでもありますから(過去ブログ参照)。

 

 

それで、面白いなーと思って今このブログを書くに至る。笑

 

円。

 

縁。

 

エン(デ、笑)。

 

ぐるっと、まぁるく繋がった。

そんな感覚なのです。

 

大西つねきさんも寄稿したという今日発売ムック本「人類総感染 猫のように生きる」・・・副題が私的に二つ前のブログの内容にもリンクして気になるし・・・(まずは立ち読みしたいなぁー)。

 

そもそも最近の猫の連作は、実は東光禅寺のヨガイベントのチラシのためのもので(作成済みだけど今イベント休止中なのでシェアできていません。涙)、それで、これまた私のアイディアで、「我が家の猫がヨガのようなことしているので、それを(僭越にも)仙厓和尚のようなタッチでというのは・・・」とご提案し、採用していただきました。

 

 

ちなみにエンデの本の中で探していた老子の言葉:

 

「粘土で器をつくる。しかし、粘土が包む虚無の空間が器の本質(有用性)なのだ」

 

も、イメージのフォルムはやっぱり、まぁるい形。

 

 

当然、いろんなものは繋がっているし、目的を持って何かを読んだりしているからリンクはし合うのだろうけど、ここ2日くらいの繋がり具合がすごかったので、記念に書いておきました。

  

 

 

あとは、イラストに繋げられるか。

 

仙厓書画《円相図》「これ食ふて 御茶まいれ」
仙厓書画《円相図》「これ食ふて 御茶まいれ」

2020年

5月

09日

腐るものと、腐らないもの Some things expire, some don't

4月16日は両親の結婚記念日で、私は例年おめでとうをいう以外何もしないのだけど(←苦笑。親の結婚は親が勝手にしたことだしな〜って非常にドライな娘。スミマセン)、そんなこんなで両親が山梨で割と大手のスーパー、OGINO(笑)でとっても美しい薔薇を買ったと喜んで帰ってきた。しっかりと質量のある花びらは柔らかなベルベットの質感で、見るからに1本300円くらいはしそうな見事な薔薇たちが、なんと10本で500円だったとご満悦!それはそれは、私でも、何もなくても買っていたかもって思ったくらい・・・。

 

でも考えてみれば皮肉なことで、おそらくコロナの影響で卒業式や入学式、結婚式など諸々のイベントが中止になり、行き場を失った花たちがこうやって捨て値で一般庶民の手元に回ってきたのだろうと思う。廃棄されるよりマシとは言え、丹精込めて作った農家さんの気持ちを思うといたたまれない。

 

先日はニュースで、養殖して食べ頃になったお魚の出荷先が営業停止でどこにも出せないと嘆く業者さんが出ていた。苦肉の策として、一般家庭の食卓に冷凍配送するなどして買ってもらっていると話していたけど、それでも全てが旬のうちに消費されるとは思えない。

 

旬を過ぎて肥え過ぎたお魚さんたちは、それでも網上げされて、地表のどこかで腐って死んでいくのだろうか。それとも突然大海に放たれ、また別の人生(魚生)を与えられるのか。魚の本能としては嬉しいとしても、卵のときから養殖されて育ったお魚さんたちは、或る日突然大海に投げ出されそれはそれで苦難多き余生を強いられるではないか・・・ってそこまで考えるのは心配のし過ぎ、にしても。

 

 

そういうわけで、4月16日から我が家のダイニングで鑑賞されるようになった10本の薔薇たち。毎日綺麗だな〜って思って眺めていたけど、12日も過ぎた4月28日になり初めて、「あ、今絵にしたい」って何かに突き動かされた。花としては少し開き気味で、多少朽ちかけたものも出てきたこのタイミング。でも、絵を描くっていう目的には、どうやらこの日が「旬」だったらしい。

 

本当は油彩やアクリル絵の具なんかで描きたかったけど、私はあまり得意ではないし、そもそも持ってない。それなりに表現できそうなものとして、パステルを広げて描き出した。

 

作品としては大して上出来とも言えない仕上がりだけど、野球選手でいうところの素振りみたいな気分で、その日も一枚絵が描けて嬉しかった。

 

 

旬があるっていい。

その時にやらないとできないと思うと、体たらくな私でも時間を無駄にできないと思う。

でも哀しいかな。

旬があるからこそ、全てが無駄になるってこともある。

薔薇やお魚さんたちのように。それらを育ててきた生産者たちの、労力や愛情のように。

 

 

私は今、未だ買ってもらえていない絵本という在庫を抱えている。本当は今の時期にもっと色々動きたかったのに・・・。「デビューしたて」っていう旬はもうすぐにも過ぎてしまうけど、私の作品の中身は、いつまでも鮮度を保てるものになっているだろうか?悔しい思いも当然あるが、「腐るものじゃないから」と自分を励まし、旬なものたちと対峙して絵を描いたりしている。

 

 

結婚記念日おめでとう。母の日もおめでとう!Happy Anniversary & Happy Mother's Day 2020 ©︎ Hanae Tanazawa
結婚記念日おめでとう。母の日もおめでとう!Happy Anniversary & Happy Mother's Day 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

April 16th is my parents' wedding anniversary. I have to confess that I'm pretty dry on that matter and I don't do anything other than saying "congratulations" to them (I'm sorry but they decided to do it without me :p).

 

Anyways, so for that day, my parents lucky grabbed a gorgeous bouquet of 10 red roses for only 500 yen (about 5 dollars) at a local supermarket!! Normally, these roses can be priced around 300 yen each, so this was quite a lucky buy.

But soon I noticed that it's because of the situation caused by Coronavirus, where many events in this season were canceled. It's sad when I think about the farmers who grew these flowers.

 

The other day, I also saw a person who culture fish mainly for restaurants. But now, because all the restaurants were closed, those fish had no place to go. Some seemed to go to general households, but I guessed many were tossed or released to the unknown wild ocean.

 

***

 

Back to the roses. So we had these lovely roses for some days at our dining room. I adored these roses everyday, but only on the 28th of April, I got the impulse to draw them on a piece of paper. As a work, the outcome wasn't that great, but I was happy that I could do some drawing on that day. 

 

I was thinking about the "seasons" for these roses and fish. Sometimes it's good to have seasons, because it urges you to do something without wasting a second. Other times, however, it really can waste everything.

 

I have stocks of my picture books that I have to sell on my own. I am sorry that I cannot do much to promote at this time, but I feel I should still thank for the fact that my books don't expire or get rotten like those fresh things. Maybe selling is harder, but I hope the contents remain fresh for  some good time...

 

 

 

 

2020年

5月

01日

猫にはなれない Cat the Master

Meditation 2020 ©︎ Hanae Tanazawa
Meditation 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

昨今のような情勢になる前から、私は家に居るのが好きでほとんど自粛生活みたいなものをしていたと思うけれど、改めてよそから自粛してくださいと言われるようになると、これは違うということに気づく。

 

おそらく、家に居ることに普通の人よりはストレスが感じにくいことはあるにしても(田舎でスペースがあるのはとても恵まれていると思う)、普通に出歩けていた時の在宅は、そうはいっても外と繋がっていた。

 

ちょっと煮詰まればカフェに行って環境を変えたり、買い物したり、人に会ったりできたのに、今はそのどれもできない。行動範囲が変わったわけではない。だいたい毎日半径3km以内くらいで過ごして問題ない人間なんだけど、気持ちの上でもっと遠くへ行こうと思えば行けるって思ってる時の3km以内と比べたら、そうでない3km以内は、やっぱり軟禁されてる感じになる。まぁ、広めの心理的軟禁ではあるけど。

 

自分は楽観か悲観かと問われたら、今のところはまだ楽観のグループに入っていると思うけど、そんな私でも、世間の見え方は随分嫌な方に変わってしまったなぁと思う。人の咳とか、ドアノブとか・・・。もちろん、おかげで見えてきたものもある。映画で観る、結婚式とかカフェとか映画館のシーンとか・・・あの無邪気な光景の、なんとも尊いことよ・・・!

 

 

でもそんな中、何も変わらなくて助かっているのが我が家の犬と猫の存在。

 

何と言っても、彼らの様子がいい。

食う、飲む、排泄する、ちょっと遊ぶ、

以外は、ほぼ寝ている。

 

毛が生えたり抜けたりする以外、年がら年中、ずーーっと同じ。

 

多くの動物は(若いのは別として)、エネルギーの消費を最小限に抑えるという生存戦略でもって、食事の環境さえあれば日々なるべく横たわり、朝から晩まで、姿勢や場所を変えることはありながらも、ただただじっとしている。

 

人間のように、なるべく今日という日を有意義に過ごそうとか、健康に気を使って運動しようとか、そういう意識のない、ある種の素敵な体たらくで。

 

体たらくと言ってしまえば簡単だけど、やってみると案外奥の深い実技であることを、私はこのような状況になって初めて気づかされた。

 

 

じっとしてるって、難しい。

 

何かしたくなる。

しないと損した気分になる。

気が焦る。

 

私の活動が一番活発なのは大体脳内なので、表向きは落ち着いている(し色々サボってるようにも見えると思う)が、そうは言ってもインプットしたり、アウトプットしたりできないとそわそわしてしまう。何も読まない、書かない、鑑賞しない、作らないのは、なかなか大変なことだ。

 

最近少しだけ昔のブログを見直していて、私は猫になってもバレない自信があるなんて書いていたけど、今はもう無理だとわかった。できてきっと一日、かな。

 

 

そう考えると、あの猫さまお犬さまのあの落ち着きっぷり。

もはや達観した僧侶のようにも見えてくる。

 

 

彼らは言う。

 

焦るな。

生きろ。

 

 

・・・そしてごはんちょーだい。

 

 

 

うん、この愛嬌もまたすごくいい!

 

 

猫さま、お犬さま、喜んでお仕えいたします!!

 

Zazen Master 2020 ©︎ Hanae Tanazawa
Zazen Master 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

I think I'm a kind of person who can fairly bare a stay-home situation more than many other people. I'm more an indoor-person even before this Covit-19 thing happened.

 

However, I just realized that it's still very different when somebody else tell you to do so, from doing it for your own sake.

 

I'm still on the optimistic side when it comes to post-corona, but even such person like me, things started to look differently in a negative way, like I became more conscious about somebody coughing, or the cleanliness of the doorknobs... 

On the other side, I started to see certain things in a more lovable way, most of which are ordinary scenes like being with somebody at a cafe, or enjoying a movie at a packed theater.

 

Another thing that flipped my viewpoint were of my dog and cat.

 

Before, I always wished to become a cat.

I even thought I'd perform well as a cat. 

 

However, I noticed that whatever they are doing were much greater!

 

Everyday, they are staying home, no problem!

They don't complain, they don't worry.

They don't rush for something, they are just there.

 

Aren't they some kind of enlightened monks?

 

They might say:

"Don't bewildered.

Just live.

 

And give me some food."

 

 

Oh yes, masters...with pleasure!

So Master Cat and Master Dog, would you please teach me about life...?

 

 

偉大な師匠たち。My great masters!
偉大な師匠たち。My great masters!

2020年

4月

28日

自然栽培に学ぶ A Lesson from the Nature Farming

Untitled 2019 ©︎ Hanae Tanazawa
Untitled 2019 ©︎ Hanae Tanazawa

 

さて、インスタで宣言してしまったので、ブログ更新を頑張ろうと思います。笑

 

たまに〜お手伝いさせてもらう伴さんという自然栽培の農家さんがいるのですが、先日もスイカの種まきに呼ばれて行ってきました。

 

伴さんはNPOとして他で農業をしながら、ご自身でも自然栽培で畑をやってるのですが、実験的に色々と試みていて興味深いです。

 

何年も前話題になった木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」を読んで、映画も見て、自然栽培はとても興味があったので、お仕事手伝いながらちょっとずつ教えてもらっています。

 

 

左が伴さんの畑。雑草がいっぱい。So much weeds on Ban-san's field (left)
左が伴さんの畑。雑草がいっぱい。So much weeds on Ban-san's field (left)

 

初めて行った時はびっくりしました。

 

どこが畑かわからないんです。

草がボーボーで、うっかりすると栽培中のお野菜を踏んでしまいそうになります。

 

昨年はそのうっかりで、スイカのベビーたちを何個か、私も伴さんも(←笑)ダメにしてしまいました。共同農地を区画分けして色んな方が耕しているので、お隣さんがいわゆる「ザ・畑」のような整理された農業をやっている中で、荒くれ畑(失礼)で農業を続ける伴さんのハートの強さにも学ばされるものがあります。笑 とはいえ最近はマルチ(黒いビニールシート)なんかも使いながら、柔軟にやっているようです。

 

伴さんも月一更新だそうですがブログをやっていて、オリジナルの4コマ付きで面白いので、よければ読んでみてくださいね。野生農園ザ・ばん (スイカキャラは奥さんかな?)

ブログの印象よりも(?)話し方もゆっくりで穏やかな雰囲気の方です。

 

白くて可憐なだいこんの花。種を収穫するために残されたもの。The white, Daikon flower is for collecting seeds.
白くて可憐なだいこんの花。種を収穫するために残されたもの。The white, Daikon flower is for collecting seeds.

 私はどちらかというと植物にエネルギーを与えるよりも吸い取るタイプな気がしていて(世の中に2種類いるとかいないとか!)、私が植えた種だけ芽生えなかったらどうしようと内心心配しながら、スイカの種を蒔いてきました。

 

 

土の匂いを嗅ぎながら、背中に太陽を感じながら、時折顔を上げて新緑の愛らしい山々を眺めたりすると、こんな贅沢ってあるだろうかと思ったりします。時々吹く風が本当に気持ち良くて。

 

 

いくつかのお野菜は、次の種を収穫するために残されていたりします。

今回はだいこんが白くて愛らしいお花を咲かせていました。

種のために花を残すことって、ちょっと未来を感じることですね。

 

以前別のところのブログで、私の生存方法は種まき戦略だなんて表現したことがありました。

実はこの時の予感は当たったみたいで、今年、『クサボケちゃん』が生まれました。

 

今年に入り、世界が急に秒針よりも太陽の軌道で時間を感じやすくなった今、改めて未来にどんな種を蒔きたいのかと考えてみたりします。

 

でも実は、一瞬も悩まないくらい、私のやりたいことはビフォアもアフターも変わらないことに気づき、伴さんのように隣の畑と比べることなく、親しく涼しく挨拶を交わしながら、私自身は、書くこと、描くこと、作ることを続けることだなと思ったりしています。

 

そういう訳で、このブログをもうちょっと頑張って、書くことにしました!

 

 

OK, so I decided to write my blogs more often. This is something I knew I should, and something Ban-san, a close farmer who tries the nature farming, suggested me on doing. 

I sometimes go and help Ban-san's field because there's a lot to learn from him. Last Sunday, I was there to help him plant the watermelon seeds. 

 

What's interesting about nature farming is that they don't pull off all the weeds but grows their product as naturally as possible. So for watering, Ban-san only rely on the natural rains. Often times, his experiments (as he calls) fail, but whenever the things work together, his vegetables grow so strong and the taste is so SO good!! I'm often amazed how the nature really does work on its own. 

 

Ban-san's field is a part of the shared field, so different farmers do different things next to each other. Ban-san's field looks the wildest when others' are so well maintained. But I like how Ban-san keeps his style regardless of how others are doing (and still maintaining friendly relationship with people). 

 

Now for many people, the days are counted by the sun's orbit, not so much by the second hand like before. I feel more natural and honest with myself, and am more certain about how I really like to be.

 

The farmers keep planting seeds. Everyone has seeds to plant on their own.

Mine needs more practices like writing, drawing and making artworks.

So I just keep on practicing what I am supposed to do, which is why I decided to put more effort on this blog ;)

 

 

2020年

4月

02日

この色鮮やかな世界

3月中に一度ブログをアップしたかったのだけど、先月は恐ろしく物事が転がっていった。一週間単位でこんなに世の空気が変わることって今まであったかな。空気はどんどん悪くなっていく。

 

3月17日(13日には出ていたんだけど)、一応正式に、私の最初のデビュー絵本『クサボケちゃん』が出せたのは今となれば本当に幸運だったと思う。地元の友人たちに祝ってもらい、素敵なクッキーやお花をプレゼントしていただき、母校・山中小学校に訪問して、絵本の寄贈や懐かしい先生との再会までできた。出版発表するやいなや、想像以上にいろんな方がメッセージをくれたり、中には配るためにまで何冊も買ってくれて、しばらくは絵本の発送に追われるような日々だった。そんな怒涛の10日間くらいを過ごせたのは、今となれば、幸せだった。

 

4月に入った今日では、ほんの2週間前とは空気がぜんぜん違う。同じように晴れ晴れしい気持ちでデビューを発表できたような気がしない。早々に買ってくれた人も、もっとずっと、少なかったかもしれない。人々が行き場を失い、互いを疑い、イライラをやりきれずにいる状態が、これからもっときっと、ひどくなっていく。

 

 

ある夜、いつものように犬を散歩させていて、ふと思った。

戦争が忍び寄る気配って、こんな感じだったのかな。

 

子どもの時、自分が生まれる以前の世界は全部白黒なんだと思っていた。

大昔は、全部白黒。

自分が生まれるちょっと前は、色が付いていても(今みたいに現像技術が良くないから)、くすんだり、かすんだり、ぼやけたり、黒ずんだり。写真で見る世界の色が、そのまま実際の、当時の世界の色だと思っていた。

 

世界の色がもしも本当に白黒だけだったら、戦争は起きたかもしれないと思えた。

白黒の世界では、人は人を殺し合う、っていうイメージがなんか沸いた。

血の色が真っ赤じゃないのは、なんか殺しやすい気がする。

 

それよりちょっと大きくなって、昔も、もっと大昔も、空の色は今と同じくらいに真っ青で、草花は鮮やかに咲き誇り、虹は七色にかかっていたのだとわかった時、びっくりして信じられない気持ちになった。

そんな中でも、戦争が起きたんだって。

そんな中でも、戦争を起こす気になるんだ!って。

 

今起こってることは、戦争じゃない。

 

でも、ちょっと前まで世界中の若い子たちが、

私たちの未来を考えろと大人たちに向かって大規模なデモを起こしていた。

 

今、大人たちは若い子たちに向かって、集まるな、出歩くな、死んでしまうからと声を上げる。

 

私はいつもミヒャエル・エンデの言葉を思い出してしまうんだけど、彼は第3次世界大戦はすでに始まっていて、それは世代間の戦争だと言っていた。(今ちょうど貸していて手元にないんだけど、『エンデの遺言』の前半部分でそのような表現をしている。)

 

 

小学生の頃、クラスでいじめられている女の子がいた。その子の名前に「菌」という言葉をつけて、「〇〇菌!」「〇〇菌が移る!」とありもしないことを言っては大騒ぎをし、彼女どころか、彼女の持ち物や机など一切「触れない」ことで相手を悲しませるという、悪質ないじめだった。典型的な子どものいじめの一つかもしれないが、今の世の中は、誰もがそれを互いにし合うことになっている。残念なことに、その菌は本当に存在してしまっているから・・・。

 

Social distancing(社会的距離)という意味不明な言葉が気付いたら出回り、普通に使われるようになっていたけれど、私には不協和音のように気持ちが悪く、未だ受け入れられないフレーズ。実際の意味としてはむしろAnti-social(非社会的)で、普通に生きる人間同士らしからぬ距離を取ることだし、distancingって名詞にingで下手な和製英語のような英語も気に入らない。キスやハグや握手を禁じて、触れたものは全て消毒して、マスクなしの隣人に怯えて、3つの密を避けましょうって、どれだけ非社会的で、まるで世界中がいじめのような話なんだ。

 

 

今日のニュースでは、飛行機が8〜9割飛ばずに格納エリアに整列されている映像が流れた。こんなことは今までなかったと。グレタちゃん、やったね!飛行機が今、飛んでないよ。

人間があまりにも目に見えることが見えないもんだから、目に見えないウィルスの方が何か教えてくれる気になったのか。政治家たちはオリンピックを延期にし、代わりに自らがオリンピックに駆り出されている。全国家総動員の政策オリンピック。でもメダル獲得はウィルスを封じ込めることじゃない。幸せで、健康な国民をたくさん残すこと。

 

白黒に見えてしまいそうなこの世界に、桜が咲く。

 

 

 

2020年

2月

06日

先人か方程式か Being led by...

3月発売の絵本「クサボケちゃん」のための作画全56ページ分が終了するころには、もうこれ以上絞っても一滴も出ませんというくらいに能力の限りを尽くしたと思いました。下手含め、それが今の私の最善だと言うしかないのです。

 

お気づきになった方がいるかわからないのですが、私は今まで肩書きで、アーティストやデザイナーと言うことはあっても、イラストレーターと名乗ったことは一度もないのです。イラストはそれなりに目的があるもののために描くので、少し自由が制限されるし、その上で自分のスタイルを持つというのは、今はまだ想像できないレベルの話です。それでも「クサボケちゃん」に関してはイメージも思い入れもありすぎましたし、人にお願いするほどの資金など当然ありませんでしたので、もちろん自分でやることにしました。

 

やってみてつくづく思ったのは、イラストレーターさんはすごい!ということ。本一冊でようやく一つの作品なので、一ページうまくいって満足している場合ではないのです。もちろんイラストはデジタルでやる方法もありますが、今回は全部手描きだったので、ずっとうまく描けていたのに、こここうしなきゃよかった!とか全然あるわけです。何度「コマンド+Z(戻る)」のショートカットキーを押したいと思ったことか・・・!代わりに新しい紙を引っ張り出して、気合を入れて一から描き始めるわけです。イラストレーターさん、心から尊敬します。

 

でもそういえば、デザインをやりたての頃、デザイナーなんてとても名乗れない自分がいました。今はある意味一番向いてるかもと思う瞬間もあるのですが・・・。だから続けていれば、いつかイラストレーターも、自信を持って名乗れるようになるのかなって、ほんのりと願ったりしています。

 

***

 

「クサボケちゃん」を描きながら、改めて気づいたことがありました。

それは、私自身も知らぬうちに、様々な先人の影響をこれほどまでにも受けていたのか!ということ。

 

例えばクサボケちゃんというキャラクター。3頭身のバランスや目の大きさ、パーツの位置などは紛れもなく、手塚治虫や藤子不二雄、ディズニーやキティちゃん、奈良美智さんなんかに影響を受けているのです。クサボケちゃんがこのような様相になるまでに、淘汰されてきた段階があるのですが、最終的に落ち着いたところを眺めて見る限り、もしかしたら黄金比のような暗黙の方程式に導かれ、必然的にそうなったのではという気すらしてきます。上記の先人たちの作品を、好んで熱心に見ていたこともあれば、なんとなく眺めていただけのこともあるけれど、やはりキャラクター(例えばゆるキャラなど)があのようなバランスなのは、何か完成形としてすでに出されている答えだからなのではと思ったりしました。そういえばミッフィーちゃんもアンパンマンも、最初はもっと背丈があったけど、だんだんと頭の大きい今の形になっていることに気がつきます。

 

イラストレーターとして個性を追求するならば、違うバランスを見つけてそれでも魅力的と思えるところにたどり着きたいのですが、なんだか自然な流れで、クサボケちゃんは今のような様相に落ち着きました。そう考えると、なんとなく当たり前に見ているものは、それなりに意味があって、それが自然と人々に好まれて、その形をしているのかもしれないなと、そんなことを感じながら、作画に向かった1ヶ月半でした!

 

 

Last weekend, I finally turned in all of my illustrations for my first picture book: "Kusaboke-chan" worth 56-pages long. Honestly, I can say I did my best for this moment, including the pages which doesn't look as well! 

 

I might call myself as an artist or designer, but I've never called myself an illustrator. Illustration (especially for a picture book) is not just a piece of work get done and be happy, but a collection of works getting done to be a piece of work called: a book. Especially because I decided to do hand-drawings for "Kusaboke-chan," there were many, many moments where I wished to press shortcut keys for "undo," but instead took out a brand-new piece of paper and started everything all over again! ...So for all these experiences, I truly respect illustrators more than ever...!

 

Also this time, I had a fun realization about myself that I was both consciously and unconsciously affected by the artists who lived (and are living) before me, such as Tezuka Osamu, Fujiko Fujio, and so on.

 

For example, my main character, Kusaboke-chan. Her big head and big eyes, the locations of her facial parts... I couldn't deny the influences by "Astro Boy" (Tezuka Osamu) or Hello Kitty, Disney characters or works by Nara Yoshitomo.

As I refined my character, the shape and its balance naturally came down to how she is now, and I almost feel that it was the solved problem as something always preferred by people whether consciously or unconsciously. Maybe it has something to do with the golden ratio...?

 

So, as an undeveloped illustrator, I wish to find a different balance from such a"golden" balance and find my original, but for this piece of work, I guess this was the answer.

 

チャームポイントは3本まつげ! The three long eyelashes are her charm! 「クサボケちゃん」"Kusaboke-chan" 2020 ©︎ Hanae Tanazawa
チャームポイントは3本まつげ! The three long eyelashes are her charm! 「クサボケちゃん」"Kusaboke-chan" 2020 ©︎ Hanae Tanazawa
名脇役たち!(?) My favorite supporting characters!  「クサボケちゃん」"Kusaboke-chan" 2020 ©︎ Hanae Tanazawa
名脇役たち!(?) My favorite supporting characters! 「クサボケちゃん」"Kusaboke-chan" 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

2020 UPDATES

 

5.14. iichiオンラインショップからもクサボケちゃんが購入できるようになりました!

 

3.6. 『クサボケちゃん』がプレスリリースされました!

"Kusaboke-chan" is press-released!

https://miraipub.jp/books/2487/ 

 

3.6. Contactより『クサボケちゃん』がご注文いただけます。

You can order "Kusaboke-chan" from Contact

 

1.1. HAPPY NEW YEAR!

 

絵本『クサボケちゃん』がみらいパブリッシングより3月17日出版予定です!

 

My first picturebook "Kusaboke-chan" will be published on March 17th from Mirai Publishing!

 

 

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