2024年
3月
09日
土
皆様いかがお過ごしですか?
私は昨年度が楽だったから、サクッと終わらせるつもりで放置していた確定申告が思いの他手こずってしまい、しかもお急ぎ案件もあったから、珍しく(ちょっとだけ)負荷を感じていました。今日無事に納品できて、確定申告は書類が揃う月曜日には終えられるんじゃないかな。
よく頑張ったので、今日のお昼は豪華にしてみました。
自分では初めてかも?なカツカレー!風?
ちょっと天才かもって思うんだけど(←年に数回だけ思う、すみません)、豚バラ肉しかなかったから、数枚ずらして重ねて塩振ってマヨネーズで薄くコーティングして(小麦粉と卵のつなぎは面倒なのでマヨネーズでよくやる)パン粉つけて揚げ焼きに。めっちゃ美味しかった!
なぜカツカレーかというと、その前に作ったビーフカレー↓のルーだけが残っちゃったから。
カレーはYouTubeでスパイスカレー勉強して何度か作ってて、今回初めて見ないで上手にできました。先生→ のんびりスパイス調理室
それで、最近またハマってるのが、左手にございます米粉を使った薄パン。ナンのようなトルティーヤのようややつなんだけど、これが超簡単で美味しくて、もう何回も作ってる。
これ↑はチキンカレー作った時の。
去年の秋ぐらいからゆるく小麦粉抜いてるから、色々調べて辿り着いたこのレシピすごいよ!
米粉100g、 片栗粉 40g、塩ひとつまみ、牛乳160ml を一気にボウルに入れて混ぜて、オイルを敷いたフライパンで表裏焼くだけ!発酵とかないから待ち時間0だし、冷凍保存もできます。
元々ピザ生地のレシピなんだけど、そのままでも全然主食になります。うにーずCooking
もちろんピザも作ったよ↑
そしたら端っこがカリカリになってめちゃ美味いんだけど!
れんこんのピザは食べながらこの旨み、甘味は何だろうって思ったけど、普通に玉ねぎだった。やっぱ大事なんですね、頼れる名脇役。
ピザで止める予定だったけど、ここまでいったら連投弾しよう!飯テロだ!笑
↑小麦抜いて一番残念なのがパスタ。パスタに関しては、やっぱり小麦が一番美味しいと思う。これはグルテンフリーの中では結構美味しいと思うもの。アルデンテ無視して長めに茹でた方がパスタ感が出る気がします。
かかってるバジルは親の畑からもらったのをレンジで乾燥させて粉状にしたもの。風味はちゃんと残るのでかなり使い勝手いいです。瓶で長期保存できるよ。
この↑米粉パンのレシピ見つけて、これやりたいがために(だけじゃないけど)、昨年知り合ったCOOK & DINE HAYAMAの代表山口さんから直接ダッチオーブン買わせていただきました!初めてなのにめちゃうまにできて感激しましたよ!
相変わらずお昼は和食が多いのだけど、上の↑は特に上手く作れたおかず。
左はいただいた茅乃舎さんの出汁で大根煮付けたら我ながら旅館の味になりました。
母が時々謎に使ったことない乾物を送ってくるんだけど(かんぴょうとか!笑)、それらを使うために調べたりして、その都度料理の腕が上がる。この紐状の昆布めっちゃ使い勝手が良いことを発見。母ありがとう。
真ん中は冷凍庫の底で長期間眠ってたと思われる豚肉をなんとか美味しく食べようと思って、たまたま買っていた生麹と塩でしっかりと下味をつけて焼いただけで、柔らかくてめっちゃくちゃ美味しい豚肉になってました。
右は見たまんまだけど、去年初めて作ったやや塩味の効いた手前味噌(左奥)をつけながら食べたら絶品でした。
さてー。十分飯テロになったかな?なってたらいいな。笑
私の小麦抜きになんの意味があるか自分でもよくわからないんだけど(実は大して変化を感じない)笑、でもこうやって見ると料理の幅だけは確実に広がりました。あと、そういえば和食中心になるとほとんど油を使わないことを発見。和食ってほとんどが煮る、焼く、茹でるで、お魚焼いてる分には天然の良い脂が出てくるから、お肉食べるようになってだいぶ日本人の食生活変わったんだろうなって思います。あ、スパイスカレーは超油使います!
そうこうしていたら、お腹空いてきたので、またね!
いただいた肉まん(小麦)を温めて食べます。笑
2024年
3月
04日
月
最近ありがたいことに少しだけ忙しいのですわ。なのに原因不明の腹痛で寝込んだり(って大袈裟だけど)、今日、久々の落ち着いた時間・・・。
昨日、一昨日はひな祭りで忙しいたんの和菓子店を手伝っていて(年に4回くらい裏方することあり)、今日は別のお客様にロゴのプレゼン&好反応をいただけて、久々にキリの良い、気分の良いタイミング。
リラックスにブログ更新したくてネタ画像探してたら、昨日もまったくこんな格好で、同じくパイナップル切っておやつに持って行ってたな〜とやることがデジャブな2年前!の写真↑発見(2022年4月)。
ちなみにこの時(↑)は急遽丹野さんのお昼休憩に打ち合わせとなり、家にあった残り物(具の少ないハヤシライス)と、トーストで温めただけのパンの塊を広げたら、女将・ひかりちゃんが、「なになにはなちゃん、ジブリ?」と面白がってカメラを向けられたものであります。曰く、ポニーテールの高さがアリエッティらしい。そして塊パンとシチュー。シマシマ、ジーパン、丸めがねでファッションの裏テーマが「魔女の宅急便」のトンボだったので、あながち間違いではない。
そういえば、黒猫いたせいもあって、キキには共感するよね。私も森の中で黒猫紛失したし。あのハラハラはキキと私にしかわかるまい。苦笑
それにキキの、自分の能力生かして移住してウーバーなサービスでフリーランス起業なんて、今時もいいとこ!私もキキくらい身軽に生きたい。
あ、でもね、キキよりも、森の中に住んでる絵描きのお姉さんがかっこ良くて好き。絵が素敵だし、カラスと喋ったりして。実は最近カラスもかわいいって思うんだ。野生のじゃなくて、人に飼われてるカラスって人懐っこくて頭良くてかわいいの。動物の動画色々見てしまうー。カラス科のMagpie(カササギ)でもかわいい子がいるの。
こんなんだから、いつか森の中で絵を描いて黒猫とカラス飼ってるかも。
・・・
やだ!友達でいて!
2024年
2月
18日
日
言葉は網だな、と思う。
私が今こうして書き起こしている文章にも独特の形をした網目のような余白があり、それぞれの余白が塗りつぶされずに存在するからこそ、書いたものが読み手に伝わる。
*
同じ網にも、細かい網と荒い網がある。
たまたま同時期に、谷崎潤一郎と川端康成を読んでいたことがあり、谷崎の文章は細かい網目、川端の文章は荒い網目と思った。
谷崎は描きたいもの全てを文字にするかの如く、着物の柄から表情一つまで細やかに描写するので文字量が多くて読むのが大変な代わりに、脳内で映し出される映像は鮮明でまるで映画を観ているかのよう。
対象的に、川端はあまり言葉を消費せず読者の想像に拠る部分が大きいので、私はしばしば同じところに戻ってその表現の意味を考えさせられることがあった。
後々この二人が日本人初のノーベル文学賞の最終候補者として選ばれていたと知り、面白い対比だと感じた記憶がある。
網目の大きいものは軽やかに大物の魚を狙う。大局が掴めればいいというか、大きく自由な余白を読み手に残す。俳句はその究極、現代ではX(旧ツイッター)。余白が大きいことはまた誤解も生じやすい。
網目の細かいものは、情報をたくさん正確に伝えられる反面、容量が重たいのでそもそもアプローチしてもらえない可能性大。新聞記事とか、ドフトエフスキーとか、私の文章もこちら側(?)。
どちらがいい悪いではなくて、使いやすい方を使えばいい。言語表現が悪いと言ってるわけでもないし、言葉の明解さを求めてしまうときは正直多々ある。
***
網は魚や蝶々を上手に捕まえるけど、水や空気は取り逃がしてしまう。
言語表現の目指すところが「行間」であることはあっても、網そのものが水や空気の何たるかを表すには限界がある。
網をくぐり抜ける水や空気に当たるもの、それが私にとっては面や空間に放たれる絵や造形物、音楽、踊りなどの非言語表現(non-verbal expression) 。視覚言語(visual language)とも言われるこれらは、言葉を用いることはあっても、必ずしも必要としない。
"visual language"と言う言葉を大学のアートクラスで聞くようになった時、まさに自分に必要なもの、と感じる経験を何度もした。どれだけ事前に英語を勉強しても、いきなり海外に行ってしゃべられるようになる訳ではなく、まるで赤ん坊のように頭の中に溢れる言葉が口から出せないことが最初は顕著に続き、卒業間近の4年目でも克服することはなかった。言葉の不十分を埋めるように、私は視覚言語を求めたのかもしれない。
物理的に捕まえられるものだけではなくて、空気のように見えないけれどあるもの、それに心震えたり、表現したくなる欲求が人間にはあるのだと思う。
*
「言葉」という「網目」をするすると抜け落ちる、水のような、空気のような、色や光、音、振動を受けて、せいぜい「言葉にできない」と発し、余白のような無限の余韻を感じるなら、それを味わうことが全て。
2024年
2月
04日
日
今日は立春。
旧暦では今日からが新年とか。
おめでとうございます!
私は図らずも2021年の2月3日に今のところに引っ越してきたので、今ではこの「立春」という日が自分にとっても良い節目の日として意識するようになりました(そして3日は姉の誕生日、おめでとー!)。
今日から第2期横浜生活(笑)4年目に入るわけですが、幸運すぎる現状に感謝しつつ、最近はもっと先のことも考えるようになりました。
第1期横浜時代(2007〜2018年)からずっと言ってることなんだけど、私、いつかは横浜と山中湖で二拠点生活がしたいのです。やっぱり山中湖の自然が好き。恋しい。
横浜でのたくさんの貴重なご縁は変わらず大切にしつつ、自然に囲まれてのんびりと好きなように創作活動を続けていけたらと願っています。カッコつけて言うとね、山中湖にアトリエが欲しいの。笑 これ、昔からずっと言ってる。ずっと言ってるから、いつか叶える。そろそろ明確に目標立てて言うと、3年後くらいにはそんな生活ができ始めてたらいいなーと思うようになりました。
立春なので、理想を書き出してみましょうか。
・横浜と山中湖で二拠点生活をしている
・車を持っている(なぜか中古のフォルクスワーゲン希望。笑 アメリカで赤のJetta借りて乗ってて愛着あり。山中湖では現実的じゃないけど)
・自然農で家庭菜園ができる庭がある
・猫、犬、鶏を飼っている
・ご飯を美味しく食べてくれるパートナーがいる(精神的に繋がっていれば結婚はどちらでも良い、別居でも良い)
・ターキーを焼ける大きさのオーブンがある(←なぜ笑 でもずっと憧れている)
・友人や家族が泊まれるゲストルームがある(自分のためだけじゃない拠点にしたい)
・薪ストーブがある
・散らかしっぱなしにできる広めのワークスペースがある
・良いクライアントに恵まれて良い仕事ができている
・忙しすぎず毎日を楽しんでいる
・横浜では今のアパートを維持
***
お金だけで叶えていくとなるとどうやるのかなんて、これ読んでくれてる人も(私を知ってたら)現実味がないと思うけど(どう見ても勤労タイプじゃないからね苦笑)、でも物事の動き方って、タイミングとか運とかご縁とか勝手な世の中の変化とか色々あると思うので、何が起こるかワクワクしていれば、起こることもあるんじゃないかな。それともちろん、できることを少しずつでも実行していくこと。
そういえば、私って子どもがリストに入らないのね!昔は普通に、人並みに結婚するんだろうなー、子ども生むんだろうなーくらいに思ってたらどちらも全く起こらず笑、子どもは可愛くて大好きなので人の子を育てることになったらそれでもいいし、自分が授かってももちろんいいのだけど、そこは起こること任せ。命だから、それは自然と同じ。
そうそう、なるべく自然のように生きていきたいのです。
もっと時計の針とか無視して、 その辺で自生するものを食べて、遠くの出来事に怯えず、四季を感じるような暮らし。
・・・叶えていきますよ!
2024年
1月
26日
金
本当はもう少し早く更新したかったのだけどバタバタしていました。
上の写真は、たんの和菓子店さんのために作った辰のポスター。
それをInstagramで見たマレーシアの甥っ子くんがとても気に入ってくれたらしく、母親である姉経由で催促してくれたので、丹野さんに許可をもらい(依頼品でも著作権は私にあるんだけど、勝手なこともできないのでね)、特別に追加発注してマレーシアに送りました。ロゴは抜いて、直接サインを書きました。
死ぬほど可愛かった甥っ子くんも今はニキビが象徴的な高校2年生(今でも可愛いよ♡)。
一年前に会った時は甥も姪もほとんど口をきいてくれないシャイな思春期真っ盛りで、甥に関しては物欲がないから全然お金を使わないといっていたのに、そんな彼がなんと私の作品を欲しいだなんて!これが想像以上に嬉しくて、叔母さんは嬉々として用意してしまいました。せっかくだから日本のお菓子とか姪へのプレゼントも丸めたポスターの隙間に詰め込んで(笑)、無事に彼の地に届きますように。
***
そんな甥っ子くんも来年には受験を控える高校生。
昨年から私の周囲にそんな子が増えて、急に塾の話題が多くなったので気になっていました。
前回のブログでなんか誤解を与えてしまったかなーと思って早めに更新したかったんだけど、私が書きたかったのは、どう塾に行かずに成績を上げるかとかじゃなくて、「どうせやらなきゃいけないことをどう工夫するか」みたいなことだったのです。それで私は授業中の勉強をゲームにしたので、他人と争うというより、自分の中で競っていたのでその時はあまり辛いとかもありませんでした。(・・・いや訂正、その後の受験期ではかなり辛くなってました。)
勉強で点数を稼ぐことも、大人になってお金を稼ぐことも、ゲームと思って少し興じるのはいいかもしれません。
でも、ある時気づいちゃったんだよね。
絵を描き始めたとき、アフリカで。
絵ってどれだけ一生懸命描いても、どれだけ上手く描けても、誰も正確に数字にすることができないのです。それってなんかクールだなって。もちろんコンペとか、売れるようになったら金額とかで評価されることはあるのだけど、そんなのかなり不確かで一部の人の主観的評価。客観的で数学的な評価はどんな作品にも付けられないのです。こう気づいた時、不意に世の中の不思議な仕組みから抜け出せられたというか、やっと楽になれる居場所を見つけた気がしました。
別の言い方をすると、私はピカソほどにうまく描くことは一生かかってもできないけど、ピカソもまた、私の描く絵を描くことはできないのです。これ、実はみんなそうなんだからね!
以前シャガール(この方も大好きなロシアの画家)の自伝を読んでいて、若かりし頃のシャガールが「自分はピカソを意識しても、どうしてもシャガール(の絵)になってしまう」的なことを書いてて、そりゃそうでしょうよシャガールさん!と私は内心突っ込んでしまいました。むしろシャガールがピカソになってしまったら、大切なシャガールとしての文化的価値がこの世から失われてしまったことになります。確かにシャガールは一通りキュビズムとかピカソに影響された作風に挑戦しており、それらも例に漏れず素晴らしい出来栄えなのですが、色彩やモチーフにシャガールらしさがどうしても溢れていて、私はただただ、シャガールさん、シャガールでいてくれてありがとうと思います。
同じように、
「〇〇さん(←あなたの名前を入れてね)、〇〇さんでいてくれてありがとう。」
と、今私はあなたにお伝えしますよ。笑
***
今、甥っ子くんは少しだけ私が挑んだルートに挑戦しようとしてて、私は遠くからそっと応援してるんだけど、もしもかつての私のように点数ゲームに疲れてしまったら、絵を見たり描いたりして、はたまた別の表現で、誰にもなんとも言わせない自分だけの世界を見つけてほしいな。
2024年
1月
18日
木
明日から久々に学校で教える仕事があります。
ブックカバーデザインのプロジェクト。
1ヶ月弱、週2回ほど。
子どもたちは可愛くて大ー好きなんだけど、教えるのって本当に苦手意識が抜けない・・・。
理由はいくつかあるけど、(①細かく時間をコントロールしないといけない ②やる気や能力にムラがあるグループを対象にしなければいけない ③おせっかいでも目立ちたがり屋でもない自分の性格、など)、なんというか、やりたくもないことを押し付けている(んじゃないか)っていう感覚が好きじゃなかったりします。
***
ちょっと前のブログで「塾に行かずにいい成績を取る方法」を書くかもって言ったんけど、それにも通じることなのかもしれないので書いてみますね(誰の役に立つか知らないけど笑)。
「塾に行かずにいい成績を取る方法」の結論はズバリ、
「学校の授業を120%の集中力で受けること」です。
学生だった私はある時こう考えました。
「面白くても、面白くなくても、この”45分”っていう時間はこの教室で過ごさなきゃいけないんだよなぁ。だったらこの45分だけ集中して先生の話聞いて、あとは好きなことしよう。」
そういうわけで、私はある時自分で自分のスイッチをONにしたのです。
授業を120%フルコミットで受けることのメリットは様々。
①しなければいけない基礎勉強を最小時間で終えられる
②授業態度がいいと先生から評価される
③どんな科目もそれぞれに面白い点があることを知れる(勉強が楽しくなる)
④わからないところは積極的に聞くことでさらに好印象を持ってもらえる
⑤放課後は好きなことに時間を使える
⑥親から小言を言われない
⑦お金がかからない
⑧ちょっとした願望を叶えやすくなる(私は放課後バイトして、高1の春休み初めてイギリスに短期ホームステイに行かせてもらいました)
ちなみに120%の20%の部分ですが、私はチャイムがなって先生が来るまでの1、2分でその日やる部分の教科書をザッと読みし、それを踏まえた上で授業を聞くと内容が入ってきやすかったです。授業でわからない部分は手をあげたり、終わった直後の先生を捕まえてさっさと問題解決すると先生からも喜ばれて一石二鳥。
***
私にはそれなりの素地があったんだろうって思われても困るのでシェアすると、私は本当に平凡な子どもで、小3くらいまで成績は「中の中」でした。ふわふわと日々を過ごす中、ある時明確に、自分で自分のやる気スイッチを入れたことを覚えています(上のとはまた別の話)。
その日、黒板の前で先生が何か一生懸命話しているなぁってことに初めて気がついたのです(失礼)。ピンボケしてた先生の顔に急に焦点が当たった、そんな感じ。笑「あの先生は何をあんなに一生懸命話しているんだろう」と、ラジオのチューニングを合わせるようにその話に耳を傾けると、え、なんかおもしろいこといってる!そんな感じで、「中の中」だった私の成績は、次の学期には自然と「上の上」に上がっていました。もしまだその成績表が残っていたら証明できると思います。
*
ちょっと逸れるけど、小3の頃の我ながら面白いエピソードがあって、
私が大人の人に将来の夢を聞かれて、
「人間になりたい」
って答えたとか、答えなかったとか(笑!詳しくはこちらのブログ:小3の夢)。
このやる気スイッチを境に人間として生き始めたのかもと思うと、なんだか辻褄が合うような気がします笑。
*
脱線したけど、とにかくこの日の出来事に関して何かきっかけがあったかというと、何もなかった。
でも、人間って唯一それができちゃう生き物なのですよ。何かで読んだのだけど、肉食動物が「明日からベジタリアンになろう」って言ってなれるものじゃないけど、人間は自分の意思である程度のことは変えることができるのです。
だからね、極論、子どもなんて好きにさせればいいと思っちゃうのです。
その代わり責任は自分で持たせる。
そんなことばかり考えるから、教えるのが苦手なのですよ。
まーとにかく、頑張ります!
2024年
1月
08日
月
今日バッサリと髪切りました!
なんと30cm!
切りながら美容師さんに「3年分くらいですねー」と言われました。
さ、さ、3年分!(と一瞬ひるむも、)いいじゃないですか。
なんか新年色々あり過ぎて全然ブログも書ける気がしなかったけど、
もうねー、今日を境にさっぱり行きますよ!
何が起こるからとかじゃなくて、いつだって一日一日が大事。
そのことを忘れないように。
今月でTanazawa Hanae DESIGNは丸4年目に突入。
ここまで生かしてくださり、皆様神様ありがとうございます。
これからまた気分新たに頑張ります!
ことよろ♡
2023年
12月
25日
月
Merry Christmas!
貴方様が幸せでありますように!
え、寂しいって?
I'm with you :)
いつも来てくれてありがとう。
素敵な一日になりますように。
2023年
12月
18日
月
この前のブログを書いたのち、書きたいことが色々出てきてしまって、久々にガーナにいたときのアルバムを引っ張り出してきました。2002-2003年の思い出。懐かしい。
***
あのね、少し真面目な話になるんだけどね。
ゴミの話の続き。
1,2年前にこのニュース↓を知って、とてもとてもショックだったのです。
3分の短い映像があるからぜひ見てみてください↓
ファストファッションの末路……不必要になった衣服の埋立地(BBC Japan)
映像でも分かる通り、私たちが良かれと思ってリサイクルに出した古着が、最終的にはガーナのような国に行きついて埋め立てられ、土地や海や空気を汚してるかもしれないのです。
ここに出てくる海岸がどこかはわからなくとも、自分がその延長線上のどこかにいたことは確かだし、それがこんな風に汚染されていると知ってショックで仕方ありませんでした。
ほんとかなぁと思いながらも、着られない服は繊維としてリサイクルされるという文言を信じて私も出したりしてたんだけど、安い服を作ってる企業がそんな手間なことするわけないよね。面倒なことはいつだってこういう貧しい人や土地に押し付けられるのです。
*
ガーナ人は一般的にフレンドリーで礼儀正しい国民性。写真を見ると分かるけど、オリジナルの布を買ってきて自分の体に合うように仕立ててもらったり、既製品もきれいに着こなしたり。スタイルがいいからまたかっこいいのですわ。
当時はそこまで古着が出回っていることもなかったけど、今は海外からの安価な古着が溢れ、土地のオリジナルの服飾産業は廃業に追い込まれ失われつつあると聞きます(それは日本でも同じ)。私はアフリカの色彩豊かな布や、それで服を仕立てる職人さんのお仕事を間近で見て、自分も作ってほしいと思ってデザインしたりして、それが絵を描くきっかけになったりもしました。
かつて奴隷貿易でも大変な被害にあったこの国は、今はまた違う形で他国から虐げを受けていると言えなくもありません。ファストファッションを全く買うなとは言わないけど、次に服を買うときや手放す時、ちょっとこんな国のことも思い出してみてくださいね。
↓おまけ
2023年
12月
16日
土
久々にここで言葉を発したい気分になったのに書くことがないという、ただただ平穏な日々を過ごしております。
お元気ですか?
世間は師走なのかな?
私は今日午後になって初めて外に出たら、すごい暖かくて、ちょっと前に買って玄関先に置いておいたヒヤシンスの蕾が勘違いして開きそうになってたので、あれ?今って1月だっけ?2月だっけ?・・・12月じゃん!と、危ういタイムリープを起こしていました。
一緒に春を待ち侘びるために買ったヒヤシンス。もうちょっと開花は待っててね。
*
昔は真剣にお花関係の仕事がしたいなと思って、千葉大の園芸学部あたりを目指したりしていました。その後急に進路を迷走し、何故か絵の道に辿り着いた時は自分が一番驚いたのだけど。
大人になって、お花の仕事をしたことがある人に、「売れなくなったり使い終わった花はゴミ袋に入れて足でぎゅうぎゅうに踏み潰したりするんだよ」と聞いて、私はお花屋さんにならなくてよかったと思いました。そもそも早起きも寒い職場も苦手だから、なったとしてもどこかで挫折していたのかもしれないけど。
**
少し話はずれるのだけど、ゴミの話で思い出したことがあります。
だいぶ昔読んだ本に、イギリスの家庭では、どれだけ小さな袋でゴミを出すかが主婦のプライドって書いてあって(本当かどうかは知らない)、なるほど面白いなって思ってから真似するようになりました。アメリカ行く前に読んだから本当に昔。
それで、アメリカに行って、缶も紙も一緒くたに捨てている様をみてOMG!なんてダサい人たちなんだ(失礼)とすごくカルチャーショックを受けました。多少分別もするけど、向こうでは緑色の胸くらいまである高さのキャスター付きバケツにゴミ袋を溜めて、そのまま回収日にゴロゴロと道端まで持っていくので、小さくするなんて発想がないし、他の人がどんなゴミを出しているとか見ることもないのです。回収は機械がバケツごと持ち上げて回収口にひっくり返すという荒々しい方法で、アメリカの大量消費社会って買っている場面もグロテスクだけど、最後の最後まで本当に品がないなって思ったものでした。今はもう少しまともになってると良いのだけど・・・。
*
ゴミを減らすのは、単純にリサイクルやリユーズしたり、もらわなかったり、買わなかったり、色々方法があるけど、最近さらにゴミを小さくする方法を見つてしまいました。
それは・・・糠漬け♡笑
半年くらい前に母がすぐに始められる糠漬け用ぬか(すでにできてて漬けるだけのもの)をくれて、これがとんでもなく素晴らしいのです。元々お漬物大好きなのだけど、思ってた以上に簡単だし、ちゃんと美味しい。それで何が素晴らしいってね、今まで捨ててたようなキャベツの芯とか野菜のヘタとかが美味しく食べられるようになったの!もう、天才じゃない?おかげで漬物はほぼ買わなくなりました。
ゴミを小さくするゲームって本当に面白いから、遊び感覚で取り入れてみてもらえたら嬉しいです。だんだん袋小さくしてくとかね。やってると本当ちょっとしたプライドみたいになってきて、思考そのものが身についてきたりします。
「えーそういうの面倒」って声に反論するとしたら、すぐゴミになるもの(使い捨てグッズ系)を買い出ししてかさばる荷物抱えることとか、毎朝のようにゴミ出ししてることの方が面倒じゃない?私はゴミ捨て場が遠いこと(100mくらい先)や朝が苦手ってこともあり、回収日を何回スキップできるかってことに重きを置いてます。笑
あともう一個ゲーム感覚で学生時代取り入れてたことがあるんだけど、長くなったのでそれはまた機会があったら書きますね。それはね、「塾行かないでいい成績を取る」っていうゲームなんだけど。笑
2023年
12月
04日
月
月曜日お昼前。
今日はなにしよっかな。笑
やることは大抵複数あるけど、切羽詰まるほどではないので、いつもこんな感じ。
その日の気分でその時一番やりたいことを選ぶ。
納期はちゃんと間に合わせる(というか基本数日は余裕を持って納品する)ようにしてるけど、それまで時間をどう使うかは自分次第。やりたくない日はやらないし、やらなきゃいけない日はスイッチを入れる。全部自分の責任だから、最終的にはなんとかちゃんとやるのです。
私、雇われてた時はどう手を抜くかっていう思考だったから(そつないんです、そういうところ)。お給料のために与えられた仕事を、どうしても自分ごとにできなかったのです。
今は文字通り命懸けでやる分、これでも一番世の中の役に立っているのだと思う。そう思いたい。
やりたくない日は、本読んだり、映画見たり、お料理したり、お出かけしたり。
しばらくダラダラしてると、あーやらなきゃってなって、ちゃんとやる。笑
いや、やる気が起きなくても手を動かし始めると、スイッチは自ずと入る。
身体が喜ぶのです、「やっと始めてくれたかぁ!」って。
作るの好きなんだね、私の身体。
しかしやりたくないというと語弊がありそうなのでもう少し加えると(笑)、やり始めるのを惜しむというか、わざと溜めてるというか。氷山の下の見えない氷の部分を大きくしてる感じ。だってやり始めたら絶対楽しいんだもん。
そんな感じで、この中途半端な時間に一番やりたいなと思ってブログ書いてみました。
午後は出かけるか、家で仕事するか・・・、迷う〜。
2023年
11月
26日
日
今晩も何か一仕事しようと思ったのだけど、今手がけているものは一旦区切りがついて(先方様待ち)、次のは無理して今晩始めなくてもいいかなと思ったら時間を持て余しそうになったので、ブログを書くことにしました。
ちなみにこのブログはランダムな内容を書いているようで私の中では定まったテーマがあり、思想や趣味などに触れていたとしても、実は全てクリエイティビティやインスピレーションに関わることだけを取り扱っています(そうでないこともあったかもしれないけど)。
私はまともな画家さんのように毎日デッサンやスケッチをしないし(そういうのむしろめっちゃ苦手!)、なんなら1、2ヶ月何も描かなくても全然平気ってくらい絵だけの人間ではないんだけど、その代わりに日々料理を作って盛りつけたり、家や着る物のこと考えるのは、単なる趣味以上に色彩や感性を磨くための一番手直な練習だと思っています。だって毎日デッサンとか、根気がなくてできないんだもん。笑 でも人間は否が応でも食べなきゃいけないから、毎日「食べられる絵」を描いて練習しているという感覚。だから、一人でよくちゃんと手料理するねって時々言われるけど、こういう理由だったら、私みたいな仕事してる人間には普通のことでしょ?(もちろん人によるけど、私はこれくらいしか日々修練していることがないのです。)今日も、サラダに紫が入るだけで綺麗だなとか、トマトの赤ってすごいなとか考えながら作っていました。
*
そういうわけで、お皿を盛り付ける器も大好きなのです。
女性は靴を持つタイプと器を持つタイプに分かれるって聞いたことがあるけど、私は確実に後者。
一人では不要な量の器を持ってるし、割れたけどいつか金継ぎしようと思って捨てられないものもある。何かを盛りつけるイメージが湧いてしまったら、新しいものもまだまだ買ってしまうだろうな。
**
前置きが長くなったけど、2020年の最初のGW後のロックダウンの時に(皆さん覚えてますか?)、退屈しのぎにずっとやってみたかった陶芸に一人で行ってきました。陶芸って絶対沼だから最初の一歩がなかなか踏み出せなかったのですが、楽しかったしそれなりに役立つものが作れたのでよかったです。
3つ焼いてもらったうちの2つが、上の写真に映ってる左上の小鉢と、中央の黒いお皿。どちらもすごい使いやすくて毎日のように取り出しています。
小鉢は、実はロクロを回して作った最初のもので、その証拠に縁が少し湾曲してるの。ロクロの上で回る土に対する力加減がまだわからなくて、押しつぶしてしまって失敗したと思ったんだけど、それがむしろ味に思えて焼いてもらうことにしました。釉薬をかけず素焼きにしてもらった素材感も朴訥としてて満足。
中央の黒いお皿は、もう何年も理想的な黒いお皿を探していて出会うことができず、作ってしまったもの。イメージしてたものより縮んで小さくなったこと以外は結構理想に近くてお気に入り。ただ、所詮素人の作品なので縁が欠けやすく、その度に黒い陶器用マーカーで塗りつぶしてるから、それもまた味になって唯一無二な一枚。
結構お皿って白を選ぶことが多いと思うんだけど、白は若干食材が冷めて見えがちな反面、黒いお皿は食材を温かく、コントラストで輪郭を美しく見せてくれるからおすすめです(試しに上の写真のお皿を白にイメージしてみて)。
今日はサラダに塩振ってたらいっぱい出過ぎて芸術的な見た目になってしまったけど(笑)、塩とか胡椒振ることだって絵にタッチを加えるようなもの。
私のお料理に関しては、味云々は別として(笑)今日も練習やってるなって感じで見てくださいね。
2023年
11月
20日
月
以前友人のLINEを気づかずに丸一日スルーしたら、「はなちゃん(猫いなくなったから)ほんと大丈夫かなって心配になった」って言われたので、「元気ですよっ!」とまではいかなくても(笑)、大丈夫、元気にしています。
父の傘寿のお祝いに両親と松本に行ったり、山中湖もちらっと帰ったり(中学の吹奏楽部の先輩(私下手なフルート吹いてました)からちょっとかわいいお仕事の話!)、あと年末年始はありがたいことに制作物が普段より多めなので、それに随分助けられてました。何かを作ってる時は本当に癒し・・・。今年は辰を3頭(?)作ります。私っぽい辰、楽しみにしててね。
食生活もまた少し変わりまして、以前小麦を抜く話をしたのだけど、想定外の効果として、小麦を食べなくなったらすごい魚が好きになって、ほぼ毎日お魚焼いて食べてます。肉よりも魚を食べるようになった、自然に。これ不思議ー。しかも普通に焼いて食べるだけだから、調味料とかあまり消費しなくて作り置きもないから冷蔵庫の中もだいぶシンプルになりました。
あとね、水を意識的にいっぱい飲むようにしてます。なんか短期間でやたらと色んなところから(動画とか人から)言われたので、これはメッセージかと思い。目標は一日1.5L、理想は2L。
それと少し繋がるんだけど、すっごい気に入ってたコーヒーや紅茶を淹れるためのフレンチプレスを10日くらい前に落として粉々に割ってしまって、同じもの売ってないし、適当なもの買いたくないから、しばらくコーヒーも紅茶もやめることにしました。というか、カフェインをやめることにしました。外では飲むかもだけど。
相変わらず信じられないくらいに寝てしまうし、かと思うと全然寝付けなくて浅い眠りのまま朝が来てしまうこともあって、フレンチプレス割ったと同時にたくさんあった紅茶も切らしたのを機に、これは(睡眠改善のために?)カフェインやめろってメッセージだなと受け取り、そうすることにしました(笑)。最近そういうふうに直感が働いたらそのまま採用するようにしています。
生活がどんどんシンプルになって霞食う仙人に向かってる気がするけど(笑)、別にそういうの目指してる訳ではなくて、今まで抵抗してたことを素直に受け入れる心境なのです。一応ベスト体重は維持できてるし。でも外では人と一緒に美味しいもの食べたいなって思います。
あとね、猫がいなくなった時にかかりつけの動物病院がお弔いのお花を送ってくれたのが嬉しくて、猫がいるとあまりお花飾れなかったから、次の運命の猫ちゃんを迎え入れるまではまたお花飾るのを楽しもうと思います。ミーはね、亡くなった1週間後くらいに一度朝大声で鳴いて起こしてくれたんですよ。私はこれからいよいよ旅立つんだな〜、その前に会いに来て起こして(笑)くれたんだなって思いました。最後に元気な声が聞けてよかった。
そんな感じです。
暖かくて過ごしやすいけど、もうすぐ一年が終わるのは少し寂しく感じちゃうね。
また書くようにしますねー。
2023年
10月
29日
日
ミーとお別れをしました。
前回ブログをアップした24日、その日の朝。
早かった。
物音で起きると床の上で伸びて苦しそうに息をしていたので、いよいよだと思いました。11日間余分に生き延びてくれたことに感謝しながら、亡くなるまでの約一時間、膝の上で抱き締め、声をかけながら看取りました。
口を大きく開けて何度も苦しそうに息をするのだけど、いよいよ息を引き取ったのは、私がミーに約束をしたから?それまでは、ありがとうとか、大好きとか繰り返し言ってたんだけど、ミーが聞きたかったのは、私がちゃんと、ミーがいなくても、幸せになることだったんだね。その言葉を一度かけた瞬間、ミーの細くなっていた猫目の瞳孔が広がって、(可愛いまんまる目になった)と思ったら、それが魂が抜けていった瞬間でした。
以前犬のサンディを看取った時もそうだったけど、動物はちゃんと人間の言葉がわかっているし、飼い主のことが心配なうちは死にたくても死にきれないのだと思います。動物って人間が思うよりもずっと賢いし、愛情深い。
亡くなったのが朝の8時12分だったので、その日のうちにミーを藤野に連れ帰ることにしました。冷たくなっても、硬くなっても、ミーの亡骸は全然怖くなくて、父が庭に墓穴を準備してくれている間、何度も何度も以前と同じようにその体を撫でてあげました。毛並みやでこぼこした骨格を手に記憶させながら、最後はミーを地元の土に還してあげることができました。
できることは全てやったから悔いはないけど、今はまだ一気に片付ける気にならないし、どこかに出かける気もしない。
料理をしていると、この音立てたらミーが来ちゃうとか、物を広げたままだと汚されちゃうって思いながら、そっか、もう気にする必要がないのかと気付いた瞬間が寂しい。
でも仕方がないのです。
ミーにした約束を、果たしていこうと思います。
2023年
10月
24日
火
なかなか精神的にハードな日々を過ごしておりました。
ここ数日でようやく穏やかさを取り戻してきた感じ・・・。
愛猫のミーが12日の夜大量に吐血し、その翌日、息を引き取ったと「思った」瞬間がありました。病院に連れていくにはリスクを感じたので、翌朝私だけ行って止血剤を受け取りました。帰ると外によろよろと出ていき、また吐血と嘔吐・・・。急いでお薬をあげるも、血を流しながら口を開けてとても苦しそうに呼吸をし、その後室外機の下に潜るとぐったりとし始めました。私は泣きながらも覚悟して色々と声をかけていたのですが、しばらくすると眠るようになり(その時それが最期と思ってしまったのです)、実際にはその間に薬が効き始めたようで、しばらくするともう一度我に帰ったかのように目を覚ましました。びっくり・・・ほんの10分前にあの薬を飲ませられていなかったら、確実にあの室外機の下でミーは亡くなっていたと思います。
おそらく歯が抜けてそこから出血したのではと思っているけど、真相はわかりません。病院の先生は直接診たがっているけど、連れていくたびに嘔吐や失禁があるから、あまり積極治療はもうしたくないのです。色んな意見があり、これまで自分が下してきた判断で後悔がないこともないけど(ちゃんと体重があった初期段階に歯周病の手術はさせてあげてもよかったかもしれない)、今はもうできることをやるだけ。
猫の病気とかを調べると、最後には「なるべく早めに受診させて」という結論しかなく、私は受診の先に何があるのかが知りたくて調べ続けていたら、こちらのブログに辿り着きました。この方は何度も猫の看取りを経験していて具体例が多く参考になります。
猫を飼われている方(多分犬も)、私みたいに迷うタイミングは絶対出てくると思うのでぜひ一度は読んでみてほしいです。
ミーは日に日に後ろ足が弱り、膀胱の筋肉が弱まったのか、昨日は夜から朝にかけて3回も失禁してしまいました・・・。これからは私が定期的に連れていくしかなさそう。
食欲はまぁまぁ見せてくれて、特に猫の麻薬(?)のチュールは大好きなので、本当は与えすぎはだめだけど何も食べられないよりはと思って食事代わりに与えています(最近は少し他の餌も食べる)。そんな感じで日々弱っていくけど、調子の良い時は自分で外に出て日向ぼっこしたり、部屋の中を歩き回ったり、穏やかに過ごしている時もあります。私はそんな光景をあとどれくらい見られるだろうと思って、なるべく側にいるようにしています。今はどうこの子を穏やかに、痛みが少なく看取ってあげるかっていうことを考えています。
同時期たまたま受けた案件もしんどく(大手だったけど・・・だから?とても嫌な思いをしました)、ニュースを見れば戦争のことだったりと、この2週間くらいは今年一メンタルが揺さぶられました。自分の食事もどうでもよくなってたけど、数日前からまた取り戻して(やっぱり食事って大事)、自分にとって大切なことだけは大切にしつつ、あまり余分なことはしないで今はミーの呼吸や温もりや鳴き声やご飯を食べてくれることの一つ一つに感激しながら生きています。
なんでそんな辛い思いするってわかってて動物飼うの?って言われることもあるけど、理由はそんなに深くなくて、自分でも少しは幸せにしてあげられるかもって思う命が目の前に現れたから、ただ手を伸ばしただけ。でも結局救われてるのは自分なんですけどね。
あぁ、愛おしいミーちゃんがすぐ横で眠っています。