2022年

6月

25日

Another Home, Sweet Home

 

 

昨日まで3週間、マレーシア在住の一番上の姉が単身帰国していたのですが、来ると同時に梅雨入りし、帰ると同時に梅雨明けしたかのような(しかもマレーシア戻ったら雨だって笑笑)、愉快な(?)時間をいっぱい過ごしました。

 

4年半ぶりに姉が帰ってきたこともあり、3年前から祖父母が眠る共同墓地の場所を知っておきたいと、生まれ故郷の愛知に両親+姉+私で出かけました。

 

場所は名古屋から小一時間北西の祖父江(そぶえ)という小さな田舎町。当時は田んぼと機織り工場ばかりで、昼にはカッタンコットン、夜にはゲロゲロと蛙の鳴き声が響く素朴な場所だったそう。今は田んぼだったところに太陽光パネルが多く設置され、アパートも立ち並んで、過疎化してると思っていた私にはある意味意外な驚きでした。

 

生まれ故郷といっても私は0歳から一年いたかどうかなので記憶は皆無なのですが(家族としては5年)、私たち家族を多くの方達(当時父が働いていた教会の方々)が温かく迎えてくださり、全く知らない何人もの方に「英恵ちゃん?」と親しく呼んでいただいたのは不思議な、嬉しい感覚でした。文字にしたらわからない程度の言葉のイントネーションが耳に優しく、母のいくつかの発音はここで得たものなのだと気づいたりしました。私たちが寝ていた部屋も見たのだけど、今ではカメラを向けたら何か映りそうな昭和の廃墟感あり・・・心の中でシャッターを押すに留めました。こういうところから両親は私たちを育てあげてくれたんですね・・・。

 

 

 

 

 

祖父江に2泊した後は、岐阜城→明治村(両親の新婚旅行先の一つ)→中央道で帰ったのだけど、実は岐阜(北方市)にもほんのちょっとだけ住んでいたことがあり、うっすらとご縁がある土地なのです。岐阜城は存在すら知らなかったけど、当時はここも要地の一つだったのだな〜、織田信長ってすごい人だったのだな〜と勉強になりました。明治村は明治時代の建物を移築して作ったテーマパークで、私たちはちょっと時間なかったけど、建築好きな人には結構おすすめできます(広いから丸一日必要)。

 

ちょっと逸れるけど、実は愛知と岐阜以外にも北海道にもちらと住んでいたので(愛知→ヨーロッパ(4カ国に10ヶ月間)→岐阜→北海道→山中湖(4歳でやっと定住))、この流れでいつか北海道でもルーツの旅ができるといいな笑(私の記憶は北海道始まり)。ややこしくて、ヨーロッパと岐阜は順番逆かもとか、今回も車の中で親に聞いて忘れないうちに書こうと思ったのに、やっぱりわけわかんなくなっちゃった。笑

 

 

2021年

4月

20日

大どんでん展開!(長いです)

送られてきた写真。この白いマークに、この泣き面は!!
送られてきた写真。この白いマークに、この泣き面は!!

 

な、な、なんと!

 

ミーが、見つかりました!!

 

11月に山中湖で失踪した、愛猫のミーが!!

 

なんと!その日のうちに保護されました!!

 

なんとなんと!!無事に帰ってきました!!!

 

なんとなんとなんと、その日のうちに無事、再会を果たしました!!!!

 

 

ご心配くださった皆さん、本当に、本当に、ありがとうございました(号泣)!!!!!

 

 

 

それはそれは、忘れられない4月16日となりました・・・。

 

怒濤の一日、というか午後でした・・・。

 

 

4月16日、金曜日。

 

実は、14日から16日で横浜から相模原の家に帰っていました。

15日は、山中湖にも行っていました。その日も、ミーが失踪した山の周辺を車で探したりしていました。

 

16日の午後4時頃、ドアtoドアで3時間かかる横浜の家に戻ると、一件の留守番電話に気付きました。お相手は、富士急事務所。山中湖周辺の土地や別荘を管理する会社です。

 

その1,2週間前、山中湖の図書館から「猫ちゃんのポスター、もうそろそろいいですか?」と連絡があったので(もし邪魔じゃなければ、もう少し・・・と食い下がり)、今回もきっとそんな電話なんだろうなと思い、かけ直したら・・・

 

「それらしい猫が事務所の近くの家にいたので、うちのスタッフが写真を撮りました」

私「結構黒猫の情報はあったので、別の猫かも・・・。どの辺ですか?」

「一匹黒猫がいる家はあるのですが、この子はそれとは違って、野良っぽくて、胸元に白いマークがあったので・・・」

 

胸に白いマーク!!!

 

今までで一番、期待に胸が膨らみしました。

 

地元だけあって、富士急と言えど連絡くれたのは一学年下の女の子。そのお姉さんの同級の私の姉(in オーストラリア)を経由して(←笑)届いた写真(上)は、見まがいようもなく、私が探しに探していた、ミーちゃんでした(号泣)!!

 

胸元のJのようなマーク。黒猫と言っても少し茶色っぽい毛色と、何よりも、この泣き顔!!エサをもらっていた場所らしく、警戒心もなく正面からばっちりちゃっかり写っちゃってる様子も、確実に、120%ミーでした。

 

それからの展開がまた凄まじかったです。

 

私は、餌付けしてくれているなら、数日休みを作って自分で捕まえにいこうと思いました。でも私が探しているというのが相手の方にも伝わったらしく、その時点で車の中に保護して下さいました。

 

保護されたと聞いて、「え、どうしよう?私すぐ行けないし!」と思ったけど、以前失踪させた際コンタクトをとっていた保護活動をされているねこねっと山中湖さんにメールを送ったら、すぐに電話が。事情を説明したら、本当にすぐその足で動いてくださり、車の中からキャリーに無事ミーちゃんを保護してくださいました。猫は車が嫌いで、逃げやすいので、大変なんですよ〜。翌日腕が筋肉痛になったけど無事に保護できたからよかったです〜と言っていただきました(感謝/涙)。

 

ねこねっと山中湖の保科さんが撮って送って下さった、保護時のミーちゃん
ねこねっと山中湖の保科さんが撮って送って下さった、保護時のミーちゃん

さて、この時点で時は夕方。6時くらいでしょうか。

 

山中湖の家に戻すのは、ミーが知らない場所だからあまり勧めない、できれば今日中に相模原の家に戻すのがベスト、とねこねっとの保科さん。棚澤さん、今横浜なんですか!?!みたいなやり取りの中、どうしようどうしようと横浜の狭い自宅内をウロウロ・・・。ミー発見を聞いたときには、翌日にでも山中湖に行こうと思っていたのだけど、まさかこんなに展開が早いなんて!

 

保科さんの車にずっと置いててもらう訳にもいかず、なんとか早めに我が家に帰したい!でも、山中湖から相模原の家までは、車でちょうど一時間。相模原にいる肝心の母親はなぜか全く電話に出てくれず(涙)、ちょうど山中湖に戻ったばかりだった父親に電話をかけたときに「そうだ!」とひらめいた!

 

「お父さん、すっっごい悪いんだけどミーちゃんを連れて、相模原の方向に走ってくれない?母親と電話が繋がったら、母を向かわせるから、途中で受け渡して!」

 

山中湖と相模原を横浜から遠隔操作する、何かの捜索本部のような無茶ぶり。

 

もちろん父としては大迷惑。

でもこの状況、もうそれしかないんで!なんとか頼み倒して、ミーちゃんは保科さんから父の手に。

 

途中で母親に電話が繋がったのですが、結局父親はそのまま相模原まで戻ることにしたらしく、ミーは無事、我が家に帰ってきました。

 

「ご両親にもあまり慣れてないなら、棚澤さんがいた方がいい」と言われたこともあり、どうせ帰るなら今日も明日も同じじゃないか、むしろ一刻も早く会いたいと、再び3時間かけて帰宅した同日夜10時半、無事にミーちゃんに再会できたのでした・・・(涙涙)。

 

ミーは家に帰ってきてからも、私が帰るまでキャリーの中に入れられていました。犬のさんちゃんの近くに置かれて、もしかしたら匂いで何か記憶を取り戻していたかもしれません。

 

私が檻をのぞくと、頭を奥にして座るミーが。「ミーちゃん!」呼ぶと振り返って「ミャー!」「ミーちゃん」「ミャー!」「ミーちゃん」「ミャー!」

 

わかるの?わかるのかな?

 

感謝感激の再会でした。

 

また逃げられては大変なので、扉が閉まる部屋で解放すると、ゆっくりと出てきてキョロキョロと辺りを見回し、なんとなく、興奮したような、「ここ、知ってる!」と周囲を確認するような様子で鼻をクンクンさせながら動き回っていました。

 

その後少しご飯を食べ、まだ野生の感覚が残るのか、押し入れに入ってしばらく隠れたりしていました(写真はその時の様子)。

 

落ち着いてきたら他の部屋も動き回れるようにしてあげて、私は犬と散歩に行ったり、お風呂に入ったり、1時間くらいそっとしてあげました。

 

戻ってきたらやっぱり押し入れの奥に隠れていたけど、呼んだら自分から出てきて、なんとその日のうちに、私の腕の中で眠ってくれました(感激!!!)。

 

何よりも嬉しかったのは、ミーが私や家をよく覚えていたこと。そして、私のことを恨んでいなかったこと・・・。嬉しい、懐かしい、ホッとした・・・そんな感覚が、彼自身にも沸き起こっていたようでした。

 

割とすぐ、元の家ネコに
割とすぐ、元の家ネコに

 

横浜での仕事は、多少の調整で助けていただけたので、ミーが落ち着くまで、数日休みを延長してゆっくりすることにしました。

 

もっと野良っぽくなってるかと思ったら、少し痩せたくらいで毛艶もよく、よく山中湖の寒い冬を乗り越えて生きていてくれたと感心しました。

 

19日の月曜日に山中湖に戻り、色んな方にお礼をして周りました。エサを与えてくださっていたのは、猫大好きな優しい70代くらいのご夫婦でした。ミーがいたという外の場所を見せてもらうと、蓋付きの発泡スチロールをくりぬいて作った小屋がいくつかあり、その中の1つで温かく暮らしていたことがわかりました。家の中にも5匹の保護猫を飼っているとのことでした。

 

他の野良猫は食べるとどっか行くんだけど、この子はずっとここにいた。鳴き声が可愛くて、よく食べて、この子は他の子以上に思い入れがあった。いつから?と聞くと、冬の間ずっといた、とのこと・・・。

 

そのおばあさんは、ミーが我が家に帰ってきてくつろぐ動画を見せると、「あぁ良かった・・・!」と涙をポロポロこぼして喜んで下さり、富士急さんからもらった、印刷されたミーの写真を記念にあげたら、「そうそう、この泣き顔、この顔!」と切なそうに、嬉しそうに受け取ってくれました。

 

人のペットなんて、そこまで情が沸かなくて当然なのですが、この方は私と同じくらいにミーの個性を知って下さり、愛して下さっていたのだなぁと、心が温かくなりました。

 

 

今はすっかり以前のように、ベッドの上でとろけまくり、いつもの場所でご飯をねだり、いつもの所に用を足しにいっています。これだけしっかり覚えていると、その分、この5ヶ月が申し訳なかったとどうしても思うのですが、そんなことも彼はすっかり許してくれているようです。

 

 

5ヶ月と一週間かかりましたが、私はそれ以上かかっても、諦めるつもりはありませんでした。他の誰が忘れたって、私は探し続ける責任があると思いましたから・・・。

 

動物に限らず、同じように誰かや何かを探している方に、諦めなければこんな素敵なこともありますと、今は伝えたいです。私が聞いていた(周囲の)失踪猫の前例は、見つかるまで最長で1ヶ月だったので、ミーは大幅に、今後誰かの希望を更新したのかもしれません。

 

ねこねっと山中湖さんには、これからも私なりの支援でお礼をしていきたいと思います。

この一件で知り合うことになった素敵な方々とも、今後も繋がっていけたらと思います。

 

 

このブログを通しても、色々な方に心配していただきました。

 

本当に本当に、ありがとうございました。

 

心配かけたニャン
心配かけたニャン

2018年

11月

22日

この夏以降まとめ

宝石 Jewel
宝石 Jewel

 

前回言っていた少し長い文章・・・。

唐突かつもはや季節錯誤な内容ですが。

 

 

・・・

 

 

この数ヶ月はやることも変化も多い日々を過ごし、先日ようやく夏に撮りためた写真をアップロードすることができてそのことを改めて実感。

 

 

以前何度か書いていた犬のサンディは、10月某日、命を引き取りました。

 

昔からわかっていたことだけど、サンディは最期まで本当に頭が良くて、会いに来ていた姉が帰る日の朝、微かな息のサンディは姉の「ありがとう」「もう楽になっていいよ」の声に、絞り出すように3度吠えて答え、体を痙攣させ、まもなく姉の腕の中で息を引き取りました。こんなことってあるんだと、私たちは最後の最後まで、この素晴らしい犬に感動させられてたくさん泣きました。

 

・・・考えてみれば、私は家族や友人の健康にはとても恵まれていて、近親者の死を目の当たりにしたことが未だなく、犬ではあるけれど目の前で親しい「命」が死ぬのを見たのはこれが初めてでした。

 

サンディは徘徊がひどくなっていたのだけど、姉が帰って来た日から安心したのか、歩き回るのをやめ、その代わり寝たきりになって骨ばった体にオムツ姿で過ごす数日が続きました。そして毎日、毎時間何かを諦めながら、確実に死に近づいていきました。美味しそうに食べていた鶏そぼろを次の日には食べなくなり、夜、急須でポカリスエットを薄めた水を飲ませながら、これが最後かなと思ったのが翌朝現実となりました。最後は顎を閉める力すらも呼吸のエネルギーに譲渡して、横向きに寝た顔の下はよだれでびちょびちょになり、口とお腹のみがかすかに膨らんだりしぼんだりするチューブになって、ついにはそのチューブの動きも、静かにゆっくりと、停止していきました・・・。

 

 

サンディ、散歩できる距離も日に日に短くなっていったね。この時こんなに遠くに歩けてたんだね、無理させてたかな・・・
サンディ、散歩できる距離も日に日に短くなっていったね。この時こんなに遠くに歩けてたんだね、無理させてたかな・・・

 

残された柴犬のさんちゃんはどれだけわかっているかわからないけど、やっぱり寂しそうな表情もしている気がします。

 

***

 

近しい人には話していたのですが、9月くらいから相模原市の藤野というところに移住しました。

 

長〜くなるので、詳しい経緯は割愛しますが(苦笑)、藤野はアーティストタウンとして知られているらしく、たまたま興味を持った私と、同じタイミングで東京寄りに拠点を求めていた両親との利害が一致し、また昨年亡くなった祖母のマンションを手放すのに伴いこちらで古〜い一軒家を買うことで話が進んでいきました。私は母屋とは別にある離れ(とは言っても倉庫といったほうがいいような古い小屋)を父と汗水垂らして夏中DIYしてアトリエ兼住居に改築し、ようやく最近になって生活らしい生活ができるようになりました。両親は山中湖と半々、私はここでよりアーティストらしい生活ができているような気になっています。

 

離れの一階部分をリビング兼犬と過ごす場所に考えていたのが最近ようやく形になったのだけど、ここでくつろぐサンディの姿は結局見ることができませんでした。

 

ひとりになったさんちゃんは日中外で日向ぼっこが大好きで、夕暮れになり寒くなってきたら入ってきてやっぱり丸まって過ごしています。

 

私もここでは結構健康的な生活ができていて、朝には(さんちゃんのトイレのために)8時くらいには起きて散歩に行き、ちょっとだけ始めたバイトに出かけ(面白くていい人ばかり!)、帰宅後から夜中の12時くらいまでは(夕食以外)自分の仕事、そしてお風呂を温めている間に3度目のさんちゃんの散歩に行くのだけど、この真夜中(12時過ぎてることも)の散歩が結構気に入っていて、夜空が広くて月や星の光が明るくて、白くなった息が気持ちよくて、さんちゃんがルックスだけは頼もしくて、近隣の暮らしが静かで安全で・・・そんな穏やかさを味わいながら一日を終えてます。横浜にいた時とは違って寝つきも目覚めもびっくりするほど良い自分がいます。

 

 

君は面白い犬だよ、さんちゃん。
君は面白い犬だよ、さんちゃん。

 

また色々報告できればと思います。

ワクワクすることも色々!

 

今は毎日本当に時間が惜しくて、こまめな更新ができずにすみません。

 

でも元気にやっています。

 

 

皆さんも素敵な秋と冬の始まりをお過ごしください・・・!

 

 

2016年

1月

17日

ブッチー

Thank you Butchy, I love you.
Thank you Butchy, I love you.

本当は別のことをアップしようと思い、その前にとパソコンでメールチェックをしたら、実家で16年程飼っていた犬のブッチーが亡くなったとの訃報あり・・・。年末クリスマスに帰った時、あまりの弱々しさに覚悟はしていたけれど、いざそうなるとやっぱり色々と込み上げてくる。悲しくて他のことは書けそうもないので、大好きだったブッチーの写真を改めて眺めたりしていた。

 

ブッチーが子犬の頃に我が家に連れてこられた時、私は多分まだ高校3年生くらい。ブチだからブッチーと単純明快な命名をしたのは母。おそらく雑種だけど、猟犬の血が入っているのではと思うくらいに足がものすごく早くて、いつもぐいぐい引っ張るものだから、散歩するのも一苦労。ちょっと油断したら転んでしまう怖さがあって、真冬の地面が凍る時には散歩に連れていけなかったりした。本当は心一杯駆け回りたいだろうに、親も忙しく、私たち子供もそれぞれ独立したりして、それでも変わらず縄につけられたままのブッチーにはいつも心苦しい気持ちがしていた(実際、折に触れて我が家から脱走し、数日後近所の人に連れてこられたりした)。だから、せめて帰った時には毎日散歩に行くようにしていて、私にとっては、ブッチーとの散歩が実家に帰った時の一番の楽しみになっていた。山中湖には、春・夏・秋・冬見たいものがあって、それを見てまわるのに、ブッチーは最高の相棒だった。時々私が立ち止まって写真に時間をかけすぎたりすると、私の身体を数周し、縄でぐるぐる巻きにしてしまう。最初は偶然だと思ってたけど、ある時から意図的だなと思うようになったら、人間のように思えて愛おしかった。

 

ブッチーがいなくなったこれから、私はどう散歩したらいいのだろう。一人でぶらっと歩くよりも、犬を連れているとそれなりに体裁がよかった。上り坂はぐいぐい引っ張っるから、歩くのが楽だった。時々遠くの音に耳をピンと立てて、鹿や鳥がいるのを教えてくれた。いつも同じ散歩道なのに、毎回が冒険のようにワクワクしていた。私もそうなりたいと思わされた。

 

でも私個人としては、ブッチーに対する申し訳ない思いが強いから、また犬を飼いたいとは思わない。縄でつないだり、首輪をつけたり、檻に入れなきゃいけないような動物は、できたら二度と飼いたくない。・・・でもやっぱり、ブッチーなしでの散歩は、寂しいだろうな・・・。

 

Our beloved dog, Butchy died earlier this month. I knew it's coming, as he could barely walk straight when I saw him last on the Christmas time. But it's still sad and shocking to hear the news and I cannot think of anything.  

 

In every season, he was the best buddy for walking. We both loved walking around our neighborhood, which is mostly a forest. For me, I just grew more appreciative to be in a nature as I became older and the longer I lived in a city. For him, every walk was an adventure full of different smells here and there, and it inspired and made me want to be like that, I mean, to find joy and excitement even in everyday routines. 

 

I knew that one day he would pass, but still I cannot visualize myself walking in the forest without Butchy. 

 

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