2023年

6月

18日

どうでもいい話

たまに床にぬいぐるみ落ちてるなーって思う
たまに床にぬいぐるみ落ちてるなーって思う

 

お勤めはあと3週間続くのだけど、今週末は少し仕事の区切りが良かったので、金曜日は友達と1年以上も行きたくて行けなかったピザ屋さん(イタリアで食べたピザよりもどこのピザよりも美味しい!!)に行ってわーっと飲んで食べて、今日もまた金沢文庫の友人たちと久々の外食。昨日も今日もボトルでワイン頼みたい人がいるから便乗して飲んでいたら(2日ともビール飲みたい気分を一向に叶えられなかった)帰ってきて2時間ほど爆睡してしまったので、久々に夜な夜な起きてこれ書いてます。なので特に目的のない投稿。

 

 

今日はたまたま気候とか気分で選んだ格好もあったと思うけど、久々に会う友人らに、「まともな感じになったね!」「シュッとしたね!」とお褒めの言葉をいただき、我ながらまともな生活を続けていい感じに社会人感出てるわ〜と思っていたのだけど、酔いも回ってきた後半、ちゃんと人様の飲み物を倒し、皆様に「やっぱりハナちゃんはちゃんとポンコツだった」と安心していただきました。笑 

そのせいでさらに話題にされたのだけど、以前、とても高級なワインを何本もご馳走になることがあり、やはり酔いも回った後半、一本おいくらするんだろうっていう上質なビンテージ赤ワインの入ったグラスを倒し、見事お宅の白いカーテンを赤く染めたのでした。ホストのお二人は慣れた様子で「全然大丈夫、大丈夫!」とフォローしてくださったのだけど、内心ではバカラのワイングラスまで割らなくてよかったと思っていたのでした・・・(カーテンはすぐに洗濯されて翌朝には戻っていました)。

その方達は懲りずにまた私にお仕事をご依頼くださっていて、今絶賛制作中。ポンコツでも、ポンコツなりに生かしてくださる方たちがいるものです(合掌)。

 

言っておきますが、私飲んだらちゃんと酔いは感じるけど全然変わらないのですよ(あ、でもポンコツ具合は進むか)!何杯飲めば記憶ってなくすのだろうと思うくらい、全部覚えてるし。笑 

 

お酒は美味しく楽しく飲みましょう♪

 

 

おやすみなさい〜〜

 

 

 

元町はずれ、新山下にあるPIZZA PAZZAのこれはクアトロフォルマッジ。小麦の風味豊かな生地がとにかく美味しい!
元町はずれ、新山下にあるPIZZA PAZZAのこれはクアトロフォルマッジ。小麦の風味豊かな生地がとにかく美味しい!
別の日もぬいぐるみが落ちてた
別の日もぬいぐるみが落ちてた

2023年

2月

07日

Take me back

 

私2月の頭の抱負で(今より少しは)早寝早起きを掲げたのに、

もうダラダラと夜更かし・・・。

 

もの作るには朝の光の方がいいのに。

もったいないと毎朝思う・・・。

 

オーストラリアではみんな早朝から爽やかに活動してたから、自然と早起きになれたのかな。

日本で早起きして外で人に会ってもさ、みんな疲れた顔してるんだもの。

って人のせいにしてたらダメね。

 

私、多分軽度の起立性調節障害てやつではあるので、自分でも致し方ないと思っているんだけど、これって治せないのかな。

 

 

どんな感じかというと、朝起きると、血液も巡るのをやめてその場で眠ってたような。

だから指先とかから少しずつ動かして、まず血液を起こす(循環させる)感じ。

これ、うとうとしながら1時間くらいかかっちゃう。

意識は起きるけど、身体が起きない。

 

あと夢が面白くておさらいしてるとつい二度寝しちゃう。

私の夢にはなぜかよく小中学校の同級生と、全く知らない人たちがものすごいリアリティで登場します。最近妙に外国人が多いです。

 

朝の光、もったいないよね。

 

 

そろそろ眠れるかな。

 

おやすみなさい・・・。

 

 

2022年

7月

14日

業務連絡と梅仕事

 

以前眼鏡屋AWESOMESさんのこと記事にしますって書いてから、写真が揃う(内装が整う)まで待っていたらなんとなく機を失ってしまったので、Designsのページにまとめました。このページもたまに更新していますので、よかったら見てみてくださいね。

 

それと、スマホビューの時にバナー(サイト名)が出ないのを直したくてテンプレート変えたら、ところどころダサくなっちゃって、しかも戻すこともできなくなっちゃって、残念。見にくくなったと思われた方、すみません。

 

元々パソコンビューを意識して作り始めたサイトなので、お持ちの方はパソコンから見ていただけると閲覧しやすくなっています。

 

私はこのウェブサイトJimdoっていう会社で作ってるけど、Dream High Publishingの方はWIXという会社を使っていて、あちらはパソコンビューも細かくデザイン設定できるのでいいなと思っちゃいました。

 

以上業務連絡でした!

 

 

写真はAWESOMES近くの人気老舗カフェDimancheで友人に盗み撮りされてたもの。たまたま?狙って?黄色があちこちにリンクしてて好きな一枚。

 

 

 

黄色繋がりで思い出した初めての梅仕事!

 

カリカリ梅を作る動画を見つけたから、種類違いの梅と種類違いの砂糖でやってみたらまんまと様子が違ってカリカリじゃなくてドロドロしてきたので(笑)、方向転換で煮詰めたら美味しい梅ジャムと梅シロップができました。失敗からの軌道修正ですごく美味しくできたから、これはまたやろう。良ければ試してみてください:)

 

備忘録レシピ:

・黄色い梅(紀州梅だったかな?少し柔らかいくらい)1kg (洗って爪楊枝でヘタを取る)

・粗塩50g (振りかけて10分放置。その後水を被せて1時間放置→洗い流す(えぐみ取り)→拭く)

・ザラメ400gを、半分切れ込みを入れた梅と一緒に袋に入れてひっくり返したりしながら一晩放置。ドロドロしてくるので、鍋に移して(袋にザラメが残るので水を適当に(200mlくらい?)入れて一緒に鍋に投入)丁寧にアクを取りながら煮詰める。

 

多分そのまま煮詰めてもいいけど、種と実が分離するので、ある程度ゆるいジャムっぽくなってきたら種を取り除いてからザルでこす。液体部分と種は一緒にシロップとして保存(水やソーダで割って飲む)。ジャムの部分はジャムとして保存(瓶は事前に熱湯消毒)。

 

 

2022年

2月

06日

美術館のすゝめ

いつかの散歩道(12月)
いつかの散歩道(12月)

 

朗報!

 

以前紹介した香月泰男の展覧会、今日から練馬区立美術館で開催されるそうです!

 

生誕110年 香月泰男展

 

今度こそ終わる前に紹介できた〜!

関東で香月康男のこの規模の展覧会はなかなかないと思うので、ぜひ機会があったら行ってみてください。画像だとこの方の作品の良さは伝わりきらず、とにかく原画を体感してみてほしいです。

 

 

*** 

 

 

ついでの情報として、私が今狙ってる展覧会はこれ。

 

山種美術館(広尾)の

上村松園・松篁 ー美人画と花鳥画の世界ー

 

上村松園(うえむらしょうえん)と上村松篁(しょうこう)は母と息子の関係。松篁の息子の上村淳之(確か読みは「あつし」)氏も日本画家という、スーパー日本画家系の展覧会。

 

真ん中の上村松篁の展覧会ポスターをたまたま駅で見かけ、使われていたミミズクの絵に惹かれて何も知らず足を運んだ展覧会で、私は初めて日本画というものに開眼しました。その展覧会には2回足を運び、いくつかの作品の前で立ち尽くす経験をしたのは2007年か8年のこと。

 

母・上村松園の美人画の方が世の中的には有名ですが、松園はいわゆる超絶技巧の持ち主で、寸分の狂いもない筆遣いがほぼAI級。どんなに間近で見ても完璧すぎる仕上がりは見事の一言。・・・なのですが、個人的にはそのせいで感想が「良い」よりも、「巧い」が先行してしまい、味わうべきものが味わえていない感覚が残ります。

 

AI級の超絶技巧の持ち主といえば他にも有名な江戸の絵師・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)がいるけど、若冲も非人間的に「巧すぎ」て「凄すぎ」る。本当に素晴らしいのだけど、やはりそっちばかりに感想が持っていかれて、「良い」がなかなか湧いてこない。とても精密に作られた機械品を愛でているような、「機械だからそりゃ巧いよね」くらいのレベルで技術が卓越しすぎていて、感動を味わうとしたらもはやその非人間気味を賛美するしかないような。こういう感想をもつ私は超マイノリティな気がしますが、純粋に好みの問題でもありますし、これらはあくまでも個人的感想ですので、怒らせてしまうファンの方いたら本当にすみません・・・。

 

話は戻るけど、私が初めて日本画に開眼した上村松篁氏の絵は、これまたかーなーりー完璧に近い技巧を持ちながら、筆運びにはもう少し制作時の息遣いや楽しさ、思考みたいなものを感じて、「ここを描いている時楽しかっただろうな。ここは勇気いっただろうな。この仕上がりは誇らしかっただろうな!」って、創作課程を一緒に擬似体験させてくれる感覚があり、それが私にとって堪らなく恍惚なのです。

 

「絵の中を散歩して迷子になり、抜け出せなくなる」っていう表現が私のオリジナルだったか、恩師の受け売りだったか忘れたけど(多分コンビネーション)、上村松篁の絵はまさに一度入り込むと迷子になってなかなか抜け出ることができない。(以前も似たようなブログ書いてました。)一枚の絵の中で、あっちも観たい、こっちも観たい、またあっちが気になると行ったり来たり駆け回ってしまう、まるで子どもが遊園地に迷い込んだような(本物の遊園地は苦手ですが)。例えば、一枚の肖像画の中で目が一部分(例えば顔)を見つめると、その目の端っこに映った別の部分(手)の存在が気になってきて、そちらに目の焦点を移すと、今度はまた別の部分(足)が気になり、その後全体が観たくなって、また顔が気になる・・・といった具合に、目がベルトコンベアーに乗せられたように抜け出せなくなるのです。多分構図が相当計算されているのと、色彩のバランスなのだと思うけど、私はこれを松篁が19歳の時に描いた椿の作品と、中年期の鶴の作品で体験しました。

 

そんな魅惑の遊園地からやっとの思いで自分を引っ剥がし、本来の体に戻ってきて次の作品に足を進める、というのは、滅多にあることではありませんが、次の作品に進まなきゃいけないのは後に続くお客さんがいるからでもあり、でも後続を流しながらでも居たければ居たいだけどうぞ、というスタンスも、私がアートを好きな理由の一つです。お好きなだけどうぞ。でも興味がなかったら通り過ぎてくださいっていう、押し付けがましくないけど自分があるスタンス。アートってつくづく、かっこいいです。

 

最近は美術館が予約制になり、以前よりもゆっくりと観られるようになったのはコロナの恩恵と思います。美術館もクラウドファンディングしてたりと苦労されているので、静かに自分のペースで過ごせる美術館、良かったら行ってみて下さいね。

 

 

2020年

12月

18日

夢の解像度

夢じたく Time to Dream 2020 (c) Hanae Tanazawa
夢じたく Time to Dream 2020 (c) Hanae Tanazawa

 

そこそこ忙しくしておりまして、日が空いてしまいました。

 

忙しくなくても、書かないときは書かないので単なる言い訳ですが ↑

 

 

そうだ、前回のブログでまた猫用の罠を仕掛けた話をして終わったのですが、

なななんと!

 

 

またあの優雅な金の猫ちゃんを捕まえました(ToT)

 

ミーのためにご飯を置いてるけど、しっかりとこの子を養っているようです。

 

野良ちゃんなのかな?

 

勝手にノラと名前をつけました。

 

ノラ・ジョーンズとか、平野ノラさんみたいに(笑)、カタカナ表記にするとちょっとバブリーで華やかな名前になると思いませんか。まだちゃんと見てないけど、女の子のような気がするし・・・。

 

しかし、同じくらい優雅な飼い主が近くにいることを願います。このときも真夜中で対処できなかったので、そのまま逃がしてやりました。

 

 

肝心の私のミーちゃんは、元野良だけあってしっかりと人目を盗んで生きているようで、なかなか目撃情報が聞こえてきません。でも本当に寒くなってきたので、優しい誰かに可愛がられていることを祈るばかりです・・・。何もできない私は、思い出しては独り言を言ったり、大きなため息をついたりしています。

 

 

そして時々、夢を見ます。

 

 

 

先日面白い夢を見ました。

 

 

ミーを夢の中で見つけるのですが、やはりちょっと距離があって捕まえられません。

でも、私の手のひらの中には、毛糸のようなモサモサした手触りの小さな黒猫がなんと8匹、ごにょごにょとうごめいています。うごめいているから、ぬいぐるみではなく生きた小猫と分かったのと、8匹というのは、別に数えた訳じゃないけど感覚的に8匹と分かるという、ある種の「夢の中あるある」です。それで、面白いのが、そのうち私が両手のひらで持っていたのは4匹くらいだったのですが、その小猫がみんな毛は真っ黒なのに、目の色が片目ずつ全部違う色をしていたんです。片方の目が赤でもう片方の目が緑の子、片方が黄色でもう片方が青の子、とか、そんな感じで、これも4匹の顔を見ただけだったけど、8匹全部がそうだったんだろうなとやっぱり夢の中で思いました。

 

ミーは男の子だし、去勢してるし・・・普通に考えるとミーの子じゃないんだけど、夢の中ではミーの子ってすぐわかりました。

 

すごく印象的だったので、起きたあともよく覚えていて幸せでした。

 

夢解きができる方、この夢ってどんな意味ですか!?

食いついて聞きたいくらいです。

 

もっと最近の夢では、山中湖じゃなくて相模原の家の庭にミーちゃんが帰ってきてくれました。でもやっぱり微妙に届かない距離で・・・。

 

私は飼い主なので諦めるつもりはないですが、ほとんどの方には興味がないことだと思うので、猫に関しての報告は、今後は見つかった時のみしようと思います・・・。

 

気にかけて下さっている皆さん、本当にありがとうございます。

 

 

夢と言えば、今年に入って夢の質が少し変わりました。

 

一番大きく変わったのは、時折ものすごくビビットな色彩で夢を見るようになったこと!

 

 

普通、人が見る夢の解像度はどれくらいなものでしょう。

 

 

私は考えてみれば、通常は8mmフィルムくらいな、低画質でぼんやりした質感なような気がします。

 

それが最近になって、4K並みの(←ってよく知らないけど)超高画質カラーで夢を見ることが増えました。先ほどの小猫の目も、とても鮮やかな色彩だったので、目が覚めた後もずっと印象に残っていました。

 

とは言えずっと4Kクオリティーとかではなくて、夢の一部分が急に高画質になるだけなんですが、あまりにも唐突だったので初めてそんな夢を見た時はびっくりしました。

 

その最初のビビットな夢は、とっても綺麗なターコイズブルーの鳥の羽が3枚出てくる夢でした。なぜか上半身裸の一人の男の人の上に最後の一枚が落ちていたので、目覚めたときはにちょっとドキドキしていました。笑 そろそろ新しい出逢いがあるかしら!?と期待しちゃうけど、それを見たのは今年の夏くらいで、それらしい人は残念ながらまだ現れていません(笑/涙)。それにその上半身裸の男性があまり好みではないナルシスト系だったからちょっと笑えます。

 

一番最近は、私の部屋なのか、2カ所あった窓が高画質モニターのような質感で、写真家・蜷川実花さんのようなビビットな世界観を映し出していました。

 

 

と、今のところ4Kクオリティーの夢はそんなところですが、過去にはなかった今年の変化です。夢ってそのときは楽しんでも、しばらく経ったら忘れてしまうんですが、ビビットな夢は起きた後もしっかり覚えていられるので楽しさが続きます。

 

こんな鮮やかな夢がなにかいいことの暗示であることを願って、これからも寝ぼけながらも注視しつつ、夢の中だけでもミーちゃんに会えたらいいなと願っています・・・(急に締め)。

 

 

 

皆様も温かくして素敵な夢を・・・!

 

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2020年

11月

23日

Missing You

mii & me  2020  (c)  Hanae Tanazawa
mii & me 2020 (c) Hanae Tanazawa

黒猫ミーを山中湖の山中で失踪させてから2週間が過ぎました。

 

気にしてくれている方もほんの少しいて下さるかもしれないので、その後の報告です。

 

それにしても、前回の文章は、その日のうちにガーっと書いたもので、翌日読んでみたら目も当てられないほど支離滅裂な内容でした・・・。なんともお恥ずかしい代物ですが、これはこれでそのときの感情表現ということで、そのまま残しておこうと思います。それにしても、ラブレターは夜書くなと言われたりするのがよくわかる気がしますね・・・。

 

 

前回、「裏庭とか軒下にミーの気配を感じる!」と思ったものですから、スケジュール的にきつかったけど翌日の藤野でのバイトを早くあげていただき、動物病院から捕獲器をお借りして山中湖にとんぼ返り。さっそく家の脇に仕掛けました。本当にこんな罠に入ってくれるのかな・・・なんて思っていたら1時間後…捕獲器の蓋が閉まってる!中を見に行ってみると、そこにいたのは・・・

 

「ごきげんよう」と言わんばかりの優雅な佇まいで、状況としては罠に捕まっている別猫ちゃん(笑/涙)
「ごきげんよう」と言わんばかりの優雅な佇まいで、状況としては罠に捕まっている別猫ちゃん(笑/涙)

なんとも美しい小猫ちゃん!笑

 

毛が長くて上品な表情で、懐中電灯に照らされてもおびえる様子もなく。もしかしたら何かの血統書付きかしら?と思う優雅さ。こんな山の中で、こんな美しい動物を捕まえると思っていなかったのでびっくり!苦笑いするしかなく・・・。

 

たぬきとかならまだ分かるんだけどー(涙)な想定外の展開だったので、捕獲器を手配してくれた元トリマーさん(私よりも若いバイトの先輩)に電話すると、大爆笑。「うーん、そんなに綺麗で人慣れしてるんだったら、近所で飼われてる猫ちゃんが散歩中に入っちゃったのかもね」ということで、念のため迷子猫の情報も確認した上で逃がしてあげました。とりあえず、捕獲器がちゃんと使えることは確認できました。笑

 

もう入ってくるんじゃないよ
もう入ってくるんじゃないよ

でもまぁ正直がっかりはがっかりで・・・。そしたら、前日に感じた猫の気配は、ミーじゃなくてこの子だったのかぁ・・・。この子の縄張りだとしたら、ミーは家に近づいて来ないかな・・・。

 

でも、その時ふと思ったのです。この子は優雅で美しくて、若くて可愛いけど(6ヶ月くらい?)、私にはやっぱり、あの骨太で鼻ったらしでどこにでもいそうでかけがえのない、あの普通の黒猫ミーがいいなぁって。たとえミーが帰って来なくて、わらしべ長者のように、この美しい猫ちゃんを次に飼えたとしても、きっとミーを失った穴は埋められないだろうなぁって。

 

金の斧か銀の斧か普通の斧か尋ねられたら、私は迷わず自分の大切な普通の斧を選ぶと思ったのでした・・・。

 

その後は、自作でポスターを作り、ご近所さんに配ったり、コンビニや郵便局、レストランなどに掲示をお願いしてまわったりしました。

 

いくつかいただいたご連絡の中で(ご連絡いただけるだけでも、誰かが覚えてくれてるんだと心が温かくなります)、唯一有力に感じたのが、湖畔近くにあるレストランからの電話。「はっきりとそうとは言えないけど、大きめの黒猫が単独で敷地内を歩いていたらしい」といわれ、5日くらい経ってしまったけど、今日テイクアウトコーヒーを飲みながらしばらく外のカフェにいさせてもらいました。しかし、そう簡単に見つけられるはずもなく・・・。明日もまた行ってみようと思います。ずっと天気が良かったのがせめてもの救いで、あれ以来、山中湖の天気予報が気になる毎日。今日は曇り空。もう少ししたら本格的に冬の気温になっていくんだって・・・。

 

他にそれらしい情報もなく、こんなに長い間姿を見られずにどう過ごしているの?と思うけど、私がいない間は両親にたのんだりして家の玄関先に置いているエサは何度か消えており(!)、今晩はまた罠をしかけてみています。

 

ミーちゃんが入ってくれるといいな・・・。

それともまた、あの優雅な金の斧ちゃんが入っちゃうかな。

 

・・・そんな感じで、捜索まだまだがんばります。

 

 

と、「そうさく」って漢字変換したら最初に「創作」って出てきました。

想定外の日々にあたふたしながら(←自業自得)、創作の方もなんとかがんばっています。こんなときだけど、作らなきゃいけないものがあるというのはそれはそれで癒しです。

でも、創作の傍らに、やっぱりミーがいてほしいな・・・。

 

気にして下さっている皆さん、本当にありがとうございます!

 

(上の作品含め)今年の5月頃
(上の作品含め)今年の5月頃
帰っておいで
帰っておいで

2020年

11月

09日

私に知らせて、なぐさめて下さい・・・。

ちょうど去年の今頃、懐き始めた頃
ちょうど去年の今頃、懐き始めた頃

11月8日は起き抜けにバイデン候補の当確のニュースを知り、

足下ふとんの上で寝ていた黒猫のミーちゃんに、「今日は新しい朝だよ!」

と言いながらチュッチュしてカーテンを開けた。

 

連休になったのと、天気が思いの外良くなったので、

午後になって急に思い立ち、迷っていた山中湖行きを決めて準備した。

今年の山中湖の紅葉がとりわけ素晴らしいと聞いてしまっていたから。

迷ったけど、初めてミーも一緒に連れていくことにした。

それが、後悔の始まりだった。

 

日が暮れる前に着きたいと気がせった私は、彼の抵抗を無視して抱き上げキャリーバッグに押し込んだ。車の助手席に乗せ、クネクネ山道をどんどん行く。後ろの荷物スペースには犬のさんちゃん。

しばらく、不安な時に発する低い唸り声で鳴いていたけど、

途中バッグに手を入れてなでていたら、ひっかいてくるでもなく、比較的大丈夫そうな感じ。

ふいにすごい勢いで顔を突き出してきたから、

まぁ平気だろうと助手席に座らせたらすぐに座り込んで落ち着いた。

でも逃げられないように、気をつけなきゃ。

途中100均で、つけたことのない首輪を買ってはめたけど、これも全く抵抗しない。

キャリーバッグが嫌だったのかな?

案外このままでもなんとかなるかも。

間に合わせの子犬用リードも首輪につけ、

ミーのトイレが気になったのもあり、

家についてそのまま地面に降ろしてしまった。

ミーは怒ったようにグイグイ歩き出し、

あっという間に安い首輪のホックが外れてしまった!

あ、しまった!

ミーは知らない山中湖の土地をグングン山の方に登っていく。

見失わないようにと私は必死で後を追う。

あっという間に車道を越えて人の入らない森の中に入ってしまった!

追ったら余計上に行きそうだったから、

私は道路に立ち止まりひたすら下から呼びかけた。

最悪、下に降りてくれればいい。

時は5時前。日はどんどん傾き暗くなっていく。

もう時間がないなと思ったとき、私はこのままでは後悔しそうだったから、

森に踏み入って、ミーが最後にいた辺りで必死に名前を呼ぶ。

何分くらい呼んだだろう。

気付いたら、思っていたより近くの木の根っこにじっと臥せてこっちを見ていた。

「いた!」私は嬉しくなって、

「ミーちゃん!」と一歩二歩近づいた。

ミーは一番の恐怖が私であったかのように、あっという間に山の奥まで逃げてしまった。

止まっ・・・たように見えた。

暗くなるし、追ったらもっと遠くに行ってしまう。

私は道路に戻って名前を呼びながら、

帰ってくる方向はこっちだよと何度も念じて家に帰った。

実はその間犬のサンちゃんは近所の柵につながれて、彼は彼で不安な状況にしてしまっていた。

暗くなったら何もできないし、最後に臥せていた姿が、

まだ私の側から離れるつもりではない気がして、それが安心材料となって、

その夜は数カ所にエサと水を置くだけにした。

 

当日の予定では、ミーを家に残し、さんちゃんを連れて湖畔沿いの

紅葉のライトアップに行こうと思っていたけど、そんな気持ちもすっかり失せた。

オンラインの仕事を持ってきてしまっていたので、そんなことをやって、

眠れないながらもなんとか2時過ぎ寝た夢の中でも、やっぱりミーを探していた。

 

早起きが大嫌いな私だけど、今朝はなんとか7時台に起きた。

 

まず朗報!前日玄関先に仕掛けたエサがなくなっている!

他の動物かもしれないけど、2つの小さな鉢に並べたエサと水。

散らかすことなく上手に食べてる。

ミーかな?ミーであってほしい!

 

私の実家は別荘地内にあり、周囲にポツンポツンと別荘が点在していて、

人は来てたり、いなかったり。

 

たまたまミーが前日通り抜けたお家の庭の横を通ったら、

人が出てきたので声をかけた。

女性の方はすごく心配してくれたけど、

ご夫婦はすぐに車に乗ってどこかに行かれた。

 

猫はとりわけ耳がよく、20m先のネズミの足音も聞こえると

前日の夜眠れぬ布団の中で調べて知ったので、とにかく名前を呼んでみる。

方向を聞き分けるのも、犬や人間よりも正確らしい。

とにかく、来るべき方向さえわかってくれればいい。

私じゃなくてもいい、誰かの前に姿を見せて・・・。

 

情報を書きなぐったメモを持って、見かける人たちに声をかける。

今まで遠くから見ることはあっても挨拶すらしたことなかった近所の人たち。

説明しながら、すぐ涙声になってしまう。

皆さん同情してとても優しい言葉をかけてくれた。

「自分も」「隣の人も」「犬を」「猫を」失踪させて、「帰ってきた」「帰って来なかった」。

色んな共感の声と励ましをいただく。

 

ミーと私の最初の出逢いがそうだったように、

私は、彼がどうしてもお腹が空いたらちゃんと人に頼ると思っている。

今回はギリギリ2泊しかできないけど、またすぐ戻ってくる。

皆さんの優しい言葉を受けて、少しずつ冷静になって、

長期戦に乗り変える気持ちになっていく。

 

一日中、何をやっても後悔が渦を巻く。

一日くらいだったら、置いてくるのが正解だったと、ちょっと調べれば出てきた。

キャリーバッグに押し込んだ時のミーの必死の抵抗。

車中の不安な時に出す、いつもと違う低い唸り声。

最後に触れた毛の柔らかさや温もり。

逃げながら、私を恐れるように振り向いた目。

 

名前を何度も連呼しながら、私が呼ぶから出て来ないんじゃないかと思えてきた。

どんなに信頼し合っていても、一度大きく裏切ってしまったら帳消しになってしまうことだってある。私はミーにとって、ひどい裏切りの人間、一番信じられない人になってしまったのかもしれない。

 

夕暮れの5時までが勝負と思い、できることは全部した。

役場、保健所、警察署、別荘の管理事務所にも連絡して。

知らないお宅にピンポンして。

何度も同じところを行ったり来たり。

森の中に座り込んで味のしないお弁当を口に詰め込んで。

 

今回これをわざわざ感情的に書いているのは、

どちらかというと自分が忘れないように記録するため。

昨日今日は自分で起こした最悪な日でありながら、

近所にこんなに優しい人たちが住んでいると知れた素敵な日にもなった。

そのことを記録しておくため。

 

午後2時頃、気分転換に、やっぱりさんちゃんと湖畔の紅葉祭りを散歩することにした。

目の前におじさん、おばさんが手を繋いで紅葉を指差しながら楽しそうに歩いている。

この世に生きる人みんなが、その手の温もりをどうか忘れないでと思う。

人が人を愛する勇気とか、失う恐怖とか。

バイデンさんは前妻と一歳の娘さんを亡くしたんだよな。

息子さんにすら先立たれた。

それで70いくつになってアメリカの大統領か。

 

 

紅葉なんて見てる場合かと思ったけど、悔しいかな、

こんな時でも紅葉はやっぱり綺麗で、写真なんか撮ってしまった。

 

朝一で話しかけたご夫婦はまた戻ってきて、

お話したら、なんと偶然にも奥さんの方が普段から動物の保護活動をされている方と発覚!

ご自身も猫を何匹も保護して飼ってて、だからとてもご理解があり同情的で、

すごく実用的な情報をいくつもいただいた。

午後にもう一度見失ったところに行ったら、

向こうからわざわざ歩いて探して下さっているところに遭遇。今朝初めましてから早3度目。

色々と話しているうちに、

本当に心強い気持ちになって冷静になり、涙も奥に引っ込んだ。

こんなきっかけがなかったら、私は素敵なご近所さんを知ることがなかったと思う。

 

こんな親切な誰かのお宅を頼ってくれればいい。

とにかくすぐにでも、大好きなご飯と温かい居場所を確保してほしいの、ミーちゃん。

 

そうだ、忘れずに全部、今日感じたこと書いておきたいんだ。

何度もよぎったのはサンテグジュペリの「星の王子さま」。

「星全部が笑ってるような気がする」は、「山全部がミャーと言ってる」みたいだったし、

「最後に、もしも王子さまを見かけたら、手紙で知らせて私をなぐさめて下さい」というところは、「ちょっとした目撃情報でもいいので教えて下さい」になった。

同じ作者の「夜間飛行」かな、「人間の土地」かな、忘れたけど、悪天候で方向を見失った操縦士が小さな光のきらめきにギリギリの希望を託す心理を、私は遠くの黒い岩とか腐った木の根っこの影に何度も何度も見た。

 

後悔先に立たず。

覆水盆に返らず。

 

小学生のころ自分で実験をしても知ったんだ。

時間は戻らないってこと。

1つの石ころを蹴って、

それを全く同じところに戻して、

全く同じところに蹴られることなんてないんだってこと。

たとえ奇跡的にできたとしても、その軌道は違った形を描いてるだろうし、

その瞬間に周囲は変化してしまっている。

全く同じ時間なんて一瞬もない。

 

コロナでたくさんの人が死んでしまった。

その人たちは、何をどうやっても、帰ってはこない。

 

 

でも・・・実はさっきから、唯一の希望、仕掛けたエサがなくなっている!

庭の玄関から少しずつ近づけて置いたエサが、もう3回もなくなっている!

この辺でいるとしたら、シカがたくさんと、イノシシは噂程度。

シカもイノシシも、あんなにお皿を動かさずきれいに食べれるかな。

これを書いてる途中、裏庭の落ち葉がカサカサいう音がして、

何かが軒下に潜り込んだ気がしたんだ。

ミーかな?

ミーだと思う!

でも呼んでも気配を隠してる。

私のことが嫌いだから。

 

昨日よりも今日は寒く、吐く息が夕暮れ時には白い。

万年涙・鼻水垂らしのミーのぐじゅぐじゅの顔を思い浮かべたら

夕食の冷凍ピザを温めながら情緒不安定な人みたいにまた声を上げて泣いたよ。

あの汚い顔をティッシュで拭いてあげるのが好きなんだ。

どちらかというとブサイクなあの顔が大好きなんだよ・・・。

 

明日の朝発つギリギリまで、まだ時間はある。

ミーちゃん、ごめんね。

扉を開けて、ごはん置いておくからね・・・。

 

 

 

2020年

6月

21日

幸福が玄関先に歩いて来た

The happiness walked toward me   2020 ©︎ Hanae Tanazawa
The happiness walked toward me 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

 

 

今日はそんなに書くこともないんだけど、

 

というよりも、他に書きたいことがまとまりそうもなくて

 

(そのうち書く旬を過ぎるかも、残念ながら)、

 

3ヶ月ぶりに念願の温泉に浸かれた今晩は、

 

肩の凝るような仕事をせずに就寝するつもりで、

 

せめて久々にブログでもと思いつつ、

 

まじめに文章まとめる気もないから、

 

今も横で寝息をたてる癒しの黒猫ちゃん賛美。

 

 

床で作品作ってるとそばに来てじっと座ってくれたり、

 

退屈になると私と仕事の間に入ってひっくり返ってみたり、

 

お腹が空くと足元に絡みついてミャーミャー騒いだり。

 

 

黒猫は縁起が悪いと言われがちだけど、

 

世界的には幸福の象徴と言われることも多いらしく、

 

玄関先に現れると縁起が良いとか、

 

幸運をもたらすとされることも。

 

 

我が家の玄関先に来てくれた時は、

 

鼻たらしの幸福が近づいて来たと思ったよ。

 

ミーが幸福そのものだからね。

 

 

 

 

動物と人間がここまで通えるって不思議だ。

 

言葉が通じないから?

 

 

 

ミーは、なに考えてるんだろうなぁ。

 

 

 

 

Mii & Me

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2020年

5月

22日

禅は円を描く

竹の子#2  color pastels  2020 ©︎ Hanae Tanazawa
竹の子#2 color pastels 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

かくかくしかじかの事情で、最近、禅ないしは坐禅について勉強中。

 

これが、なかなか面白いです。

 

今は図書館が使えず(もうそろそろ、貸出くらい良くないですか・・・)調べ物がネット情報だけだと心もとないので、追加で雑誌とスティーブ・ジョブスの本を1冊ずつ購入して読みかけているところ。

 

 

それで少しずつわかってきたのだけど、

 

 

禅って「今」を生きることなんだ。

 

過去でもなく、未来でもなく、「今」。

 

 

だから、その実践的修行としての坐禅は、今中の今である、一呼吸一呼吸に集中することが求められる。それを深く意識してすることで、囚われていた様々な過去の出来事や、まだ起きてもいない未来に対する不安を吐き出し、ひたすら「今」に意識を向ける。

 

これはなんでもないことのように見えて、実際にやってみると確かに良い効果があるような気がする。

 

 

***

 

考えてみると、私の一番最初の禅的体験は、二十歳手前で行ったアフリカの土地で、ボールペン一本で絵を描き始めたことだったと思う。

 

大した内容でもなかったのでとっくの昔に捨ててしまった当時の日記に、

「体の中で何かが爆発したがっているのを感じる。それが何なのかわからないのだけど・・・」というようなことを書いたのを覚えている。

 

それは人生に悩む若者ならではのグツグツと煮え立つマグマのような感覚で、その存在は確かに肌の下に大きくあって畝り、あちらかこちらかと必死に出口を探してうごめいている。私は吐き出したくても吐き出し口を見つけてあげられなくて、ただただモヤモヤとそれを抱えて困っていた。

 

運よくも、その日記を書いた少し後に、授業中にノートの片隅にいたずら書きしたのをきっかけに、私は部屋で一人こもって絵を描くことに夢中になった。

描き始めて割とすぐに、「私が人生をかけてやることはこれだ!」と解った感覚があった。(嬉しいかな、今日も絵を描き、同じ確信でいる!)

 

 

私にとって絵を描くことが、その他全てと違った決定的なこと。

 

それは、ようやく「今」を生きていると実感するようになったこと。

 

 

それまでの私は、無邪気に輝いていた子どもらしい「過去」と、それでも満ち足りていなかった数々の不満に対し「未来」を輝かしていこうということで頭がいっぱいで、その、種類違いではあれキラキラして見えた過去や未来に対し、「今」が現実的すぎて一番嫌いだった。今しなければいけないこと、今目の前にある平凡、悩み、解決しない現状・・・。一つ悩みが解決すれば、また別の悩みが生まれてくる。それは、鼻先にできたニキビ一つだったりするのだけど・・・。そうなると、そのニキビがまるで全宇宙の中心のように思えてきて、それがなかった過去や、なくなった後の未来しか欲しなくなる。今よ、さっさと過ぎ去ってくれ・・・!

でも未来にもまた、ニキビは確実にやってくる・・・。繰り返し。

 

 

絵を描くようになって、さっきまで単なる一枚の白紙だったものが、他のどこにもないユニークな存在に生まれ変わっていくのを目の当たりにし(上手い下手は別として!)、何か有機的な存在が目の前で生まれるのを最初に見る目撃者の感覚になった。こうなると、「今」が急激に面白くなった。

 

一生懸命取り組んでもうまくいかず終わることも多々あるのだけど、その、手を動かして楽しかった「今」という時間は、確実に自分を豊かにしてくれた実感があったし、そんな失敗もあるからこそ、うまく行ったときの喜びは大きかったりする。

 

 

私は、日本を飛び出しアメリカへ行き、ここは嫌いと憧れのアフリカの地へ来てもまだ悩んでいた。でも絵を描くようになってわかったのは、問題は場所じゃなかった。どこに行っても一緒についてくるのは自分の身体。自分の身体が幸せでなければ、どこに行っても幸せになれるはずはない。ようやく、どこに行っても幸せになれる方法を見つけた!

 

 

***

 

同じ頃か、アメリカに戻ってからか忘れたが、第二の禅的体験は夏目漱石の『草枕』の中にあった。有名な冒頭部分。

 

「山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。」

(夏目漱石『草枕』冒頭)

 

だから私は、絵を描くようになったんだと、それまでの20年という、自分にとってはそれなりに苦難も多かった道のりを、漱石はたったの8文で説明してしまった。私が絵に辿り着くというのは、漱石的には必然だったらしい。

 

 

それでも、今だって、いつだって、人生を考えてしまうタイミングはある。

 

でも今の自分を幸せにして、その「今」を積み重ねていけば、どこで終わっても一生が幸せになる。

 

他人を幸せにとか、人の役に立ちたいとか、そういう大義名分は、私は持ち合わせていない。そんな立派なことは、私などにはとても言えない。自分でも、なんで絵なのかわからない。それで誰かを幸せにするのか、社会の役に立つのかも。でも確かなのは、私は私という一人の人間を確実に幸せにできる。だから私は絵を描く。

 

 

そっか、私は絵を描き始めた時から、ずっと禅的思考を持っていたんだ。

 

 

迷走しそうになっても、思い出せばすぐ、円を描いて、いつものところに戻っていく。

 

 

 

 

竹の子#1  color pastels  2020 ©︎ Hanae Tanazawa
竹の子#1 color pastels 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

2020年

5月

15日

円 Circle 縁

Untitled 2020 ©︎ Hanae Tanazawa
Untitled 2020 ©︎ Hanae Tanazawa

 

今日はちょっと面白い現象があったのでそのネタで一つ。

 

経験のある人もいるかもしれないけど。

 

 

最近、たんの和菓子店さんからのご縁で、横浜市金沢区にある禅寺さん、東光禅寺というところからたまにデザインのお仕事をいただくようになりました。

 

 

住職にお借りした一冊まるごと仙厓書画の本。有名な《○△□》
住職にお借りした一冊まるごと仙厓書画の本。有名な《○△□》

そもそもたんの和菓子店の定番商品として開発した○△□(まる・さんかく・しかく)シリーズは、この東光禅寺の住職さんがポツリと言った(「こういうお菓子が欲しい」的な)言葉を私が間接的に耳にし、それ絶対やったら面白いですよ!と商品化(と言っても新しく開発したのは一種類だけだけど)していただいたものになります。それを教えてくれた店主は、打ち合わせ時、あまり乗り気じゃなかったけど、翌日「△(さんかく)和菓子の新作できた!」と連絡してきたっていう逸話つき。笑

 

○△□というのは、結構禅の概念を象徴するものだったりするわけですね。それを書画で現し有名なのが仙厓和尚という方。惚れ惚れするような作品集を拝見し、いつか絶対本物を観たいと思うようになりました。

 

私はクリスチャンホーム育ちという背景がら、全くと言っていいほどお寺とは縁のない人間だったのですが、禅とか坐禅というのは少し思想として面白そうだなというのもあって、数ヶ月前、最初だけ打ち合わせを兼ねて伺ってきました(正直仏像はやっぱり恐いです)。お話ししたご住職が40代くらいの若い方で、海外経験も豊富かつ、いろんな宗教に対する実体験や理解も深い方だったので、色々とお話が弾み、今も新しく坐禅会用のイラストをご依頼いただいています。

 

とはいえ、禅や坐禅のことを知らなすぎるので、インスピレーション集めとして、オンライン坐禅会にも参加したり(とっても気持ちがいい実践的瞑想)、資料を探したりしているのですが。

 

でもまだどんなイラストがいいのかわからなくて、あぁそういえばミヒャエル・エンデもなんか言ってたかなと古い書籍を引っ張り出し(禅じゃなくて老子だったのかとか)、もっとないかなーとインターネットを漁っていたら、アップル創始者の故スティーブ・ジョブズが禅にはまっていたという記述があり、姉が置いていった本でジョブスの一冊あったなぁと引っ張り出し昨日完読。その中にちらっと出てきた仏教哲学者鈴木大拙(だいせつ)という方の名前をさらっとだけ記憶したと思ったら、今日読み返した、仙厓和尚の画集の中にその方が紹介されていて。

 

あぁなんか読んだものが繋がっている・・・と思って、今日、私が応援しているれいわ新選組の大西つねきさんの配信を見ていたら、余談でスティーブ・ジョブズの、私が読んだばかりのことを話し始めたから、おお、なんだ?!と思って。それに、つねきさんといえば、エンデでもありますから(過去ブログ参照)。

 

 

それで、面白いなーと思って今このブログを書くに至る。笑

 

円。

 

縁。

 

エン(デ、笑)。

 

ぐるっと、まぁるく繋がった。

そんな感覚なのです。

 

大西つねきさんも寄稿したという今日発売ムック本「人類総感染 猫のように生きる」・・・副題が私的に二つ前のブログの内容にもリンクして気になるし・・・(まずは立ち読みしたいなぁー)。

 

そもそも最近の猫の連作は、実は東光禅寺のヨガイベントのチラシのためのもので(作成済みだけど今イベント休止中なのでシェアできていません。涙)、それで、これまた私のアイディアで、「我が家の猫がヨガのようなことしているので、それを(僭越にも)仙厓和尚のようなタッチでというのは・・・」とご提案し、採用していただきました。

 

 

ちなみにエンデの本の中で探していた老子の言葉:

 

「粘土で器をつくる。しかし、粘土が包む虚無の空間が器の本質(有用性)なのだ」

 

も、イメージのフォルムはやっぱり、まぁるい形。

 

 

当然、いろんなものは繋がっているし、目的を持って何かを読んだりしているからリンクはし合うのだろうけど、ここ2日くらいの繋がり具合がすごかったので、記念に書いておきました。

  

 

 

あとは、イラストに繋げられるか。

 

仙厓書画《円相図》「これ食ふて 御茶まいれ」
仙厓書画《円相図》「これ食ふて 御茶まいれ」

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